おはようございます。明日から3連休の方も多いかと思います。今朝も大きなスーツケースを持ち、空港に向かう家族連れの姿が見られました。ただ、テレビでも盛んに報道されているように、大型で非常に強い台風19号がこの週末に日本に上陸、日本列島は暴風雨被害が懸念されています。航空各社や鉄道各社ではすでに計画運休を発表しているところもあり、私はあまり外に出ようという気持ちにはなりません。とはいえ、台風一過の後ですが、週明け10月15日からは中国河南省で開かれる帝京大学と河南大学との共同研究プロジェクトに参加し、その後19日には北京に移動して清華大学MBAの学生に対する講演、21日には国務院発展研究センターという中国政府直属のシンクタンクと来年のシンポジウム及び交流会についての会議を行って、即位礼正殿の儀のある22日に帰国する予定です。その間、瓦版もお休みさせていただきますので、ご了承ください。
さて、本日は江戸時代の小型快速船「押送船(おしおくりぶね/おしょくりぶね/おしおくりせん)について紹介してみたいと思います。押送船は帆走・漕走併用の小型の高速船で、和船の一種です。葛飾北斎の代表作の一つ「富嶽三十六景神奈川沖浪裏」に描かれているのが、この押送船です。
この船は高速航行のために細長い船体と鋭く尖った船首を持つのが特徴で、江戸時代後期の飼料によると、全長38尺5寸(約12メートル)、幅8尺2寸(約2.5メートル)、深さ3尺(約1メートル)で、3本の着脱式マストと7丁の艪を備えていました。漕ぎ手は1艘につき10人ほどいて、風のあるなしにかかわらず常に艪を使って漕走していました。押送船の名称の由来はここにあります。
押送船の主な用途は、近海で獲れた鮮魚類を消費都市に急送することで、特に江戸周辺の海で獲れた生魚は、この押送船によって江戸市中の河岸まで送られていました。このため、押送船の管轄は、法的には川船役所となっており、積荷の鮮度を保つために、江戸に入る船舶を監視する浦賀番所での検査を受けることなく通航できる特権が与えられていたようです。
江戸近海で獲れた鮮魚の輸送ということから、主に関東地域で使われていたかと思われる押送船ですが、東海や西日本でも広く使われていたようです。押送船の快速性と凌波性に優れていたことが高く評価され、幕末期には浦賀奉行所などがこれと同型の船を採用して、取締りや連絡用として使っていました。
高見澤