東藝術倶楽部瓦版 20191010:【江戸の乗り物その30】猪牙で行くのは深川通い-「猪牙舟」

 

おはようございます。昨日、旭化成名誉フェロー・吉野彰氏のノーベル化学賞受賞が決まり、日本中がその栄誉の祝福の渦で賑わいました。受賞の理由はリチウムイオン電池の開発で、これがスマホやパソコン、電気自動車などの開発・普及を促し、人々の社会生活に大きな恩恵をもたらしました。地道な研究活動が実を結んだ結果と言えましょう。

 

さて、本日は「猪牙船(ちょきぶね)」について紹介したいと思います。猪牙船は「猪牙舟」とも記され、舳先が細長く尖った形をした屋根のない小舟のことを指します。

 

「茶船」の一種とされ、上口の長さは約25尺(約7.6メートル」、幅4.5尺(約1.4メートル)で、船底はしぼってあり、櫓は1挺または2挺です。船首は鋭い水押し造りのため左右に揺れやすいのですが、櫓で漕ぐ際の推進力は十分に発揮され、速度が速いのが特徴です。狭い河川でも動きやすく、特に明暦3年(1657年)の大火以降、江戸市中の河川などで通船、猟船、遊船等に広く使われていました。

 

「猪牙で行くのは深川通い」という川柳にもあるように、この猪牙船は深川や浅草山谷にあった新吉原遊郭に通う遊客がよく使っていました。このため「山谷舟(さんやぶね)」とも呼ばれていました。客はまず柳橋の船宿で船を雇い、隅田川を上り山谷掘(さんやぼり)で下船します。船宿で一服した後、徒歩または駕籠で吉原に向かうのが一般的な交通手段でした。

 

猪牙船の語源は、舟の形がイノシシの牙に似ているという説、押送船の船頭であった長吉が考案した(或いは卓越な漕ぎ手であった)「長吉船」からきたという説、小速いことを「チョロ・チョキ」ということから名付けられたという説など、諸説あります。伊勢地方より以西では、同型の舟を「チョロ」と呼び、漁船として使われていました。

 

猪牙船は、この小型の川船とは別に、瀬戸内海沿岸各地で貨物輸送に使われた10石積から100石積程度の小廻船を指す場合もあります。紀伊半島や四国、九州などの海岸で生魚や干物を運搬した「いさば船」とともに、近距離の商品輸送に使われており、「五大力船」と「荷足船」の中間的な役割を果たした船でした。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年10月10日 08:37に書いたブログ記事です。

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