東藝術倶楽部瓦版 20191101:【江戸の川その6】永代とかけたる橋は落ちにけり、きょうは祭礼あすは葬礼-「永代橋」

 

おはようございます。今日から11月、今年も残すところ2カ月となりました。今年もまた知らず知らずのうちに時間が過ぎてしまったという感じで、時間というものの不可思議さを改めて噛みしめているところです。日本には国の始まりとして「伊弉諾(いざなぎ)」と「伊弉冉(いざなみ)」にまつわる神話がありますが、中国では「盤古(ばんこ)」という旧約聖書の天地創造と同じような神話が残されています。とはいえ、この話はその後の「三皇五帝(さんこうごてい)」が現れる神話よりも後代の文献に記されているというのですから、その話の真偽はさておき、新しい発見による古き歴史の見直しという作業が生じます。これもまた時間のからくりというものなのでしょうか。

 

さて、本日は隅田川に架橋された4番目の橋、「永代橋(えいたいばし)」について紹介したいと思います。永代橋が最初に架橋されたのは元禄11年(1698年)8月のことで、徳川第5代将軍・綱吉の生誕50周年を祝う記念行事として行われたものです。この橋も千住大橋、両国橋、新大橋と同様に公儀入用橋です。

 

この架橋の指揮を執ったのは関東郡代の伊奈忠順(いなただのぶ)で、架橋には上野寛永寺根本中堂造営の際の余材を使ったとされています。架橋の場所は、新大橋より更に下流で、もともとは「深川の渡し」と呼ばれる大渡しがあり、現在の永代橋より100メートルほど上流(北側)のところです。当時の隅田川の最下流河口で、ほぼ江戸湊の外港とも言える場所で、多数の廻船が通過して、その付近には船手番所が置かれていました。

 

橋の長さは110間(約200メートル)、幅3間余(約6メートル)、船の航行を可能とするよう橋脚の高さは満潮時でも水面から3メートル以上と、当時としては最大規模の大橋として造られていました。「西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総」と称されるほど見晴らしがよかったそうです。

 

永代橋の名称は、架橋された江戸対岸にもともとあった中洲が「永代島」と呼ばれていたことに因むという説と、江戸幕府が末永く代々続くようにとの慶賀名という説があります。元禄15年(1702年)12月、赤穂浪士が吉良上野介屋敷への討ち入りを果たした後、上野介の首を掲げて永代橋を渡り、泉岳寺へ向かった話は有名です。

 

江戸幕府の財政が窮乏していた享保4年(1719年)、幕府は永代橋の維持管理が難しいことを理由に廃橋を決めます。しかし、江戸町民の嘆願により、橋梁維持に係る諸経費をすべて町方が負担することを条件に橋の存続が許されました。町方としては、橋の通行料の徴収、橋詰での市場開設による収益などにより費用を集めていました。

 

「永代とかけたる橋は落ちにけり、きょうは祭礼あすは葬礼」。文化4年8月19日(1807年9月20日)、12年ぶりに開催された深川富岡八幡宮で祭礼の「深川祭」に多くの江戸市民が永代橋を渡って深川に押し寄せました。ところが、その群衆の重みに橋が耐え切れず橋の東側が崩れ落ち、西側から押し寄せる群衆が次々と転落し、1,400名を超える死傷者・行方不明者を出す史上最悪の落橋事故が起きました。先の狂歌は大田南畝(おおたなんぽ)が記したものです。また、曲亭馬琴(きょくていばきん)はその時の様子を『兎園小説(とえんしょうせつ)』に「前に進みしものの、橋おちたりと叫ぶをもきかで、せんかたなかりしに、一個の武士あり、刀を引抜きてさし上げつつうち振りしかば、人みなおそれてやうやく後へ戻りしとぞ」と書いています。

 

落橋事故の後も、江戸幕府は交通の要衝としての永代橋の役割を重視し、再び架橋されます。明治30年(1897年)、老朽化のために道路橋としては初の鋼鉄製のトラス橋が現在の場所に架橋され、それまでの旧い永代橋は廃止されます。大正12年(1923年)の関東大震災にも耐え抜き避難路として機能したこの橋も、大正15年(1926年)に震災復興事業の一つとして再架橋され、「帝都復興の門」と称される現在の永代橋となっています。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年11月 1日 13:22に書いたブログ記事です。

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