東藝術倶楽部瓦版 20191107:【江戸の川その8】関東の暴れん坊・坂東太郎-「利根川」

 

おはようございます。昨日は失礼しました。朝食懇談会に出席のため、瓦版をお送りすることができませんでした。今月は出張の予定はありませんが、外部での活動が多く入っており、また急遽用事が入ることもあります。予告なしに瓦版がお送りできない場合もありますので、その旨ご了承ください。明日もまた、朝から経済産業省で会議があり、瓦版がお送りできません。ご理解の程、よろしくお願い致します。

 

さて、江戸の川について話をする場合、やはり「利根川(とねがわ)」を抜きにして語ることはできません。利根川は群馬県利根郡みなかみ町にある三国山脈の一つである「大水上山(おおみなかみやま)〔標高1,834メートル〕」を水源として、関東平野を流れ太平洋に注ぐ河川です。延長322キロメートルで信濃川に次ぐ日本第2位の長さ、流域面積16,840平方キロメートルは日本最大を誇ります。河川法に基づく政令により、一級水系である利根川水系の本流で、一級河川に指定されています。

 

「坂東太郎(ばんどうたろう)」の異名は、九州の筑後川「筑紫次郎(つくしじろう)」、四国の吉野川「四国三郎(しこくさぶろう)」とともに、「日本三大暴れ川」の一つとして命名されたものです。「坂東(ばんどう)」とは、足柄峠(東海道)と碓氷峠(中山道)より東の諸国を総称した言葉で、そこを流れる最大の河川ということで坂東太郎と名付けられました。支流の数は815河川と淀川水系、信濃川水系に次ぐ日本第3位、流域の自治体は東京、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、長野の1都6県211市区町村に跨っています。

 

現在の利根川の本流は群馬県、埼玉県から茨城県と千葉県の県境を通って鹿島灘(太平洋)へと注いでいますが、江戸時代以前は大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)が本流の下流路となっていて江戸湾(東京湾)に注いでいました。江戸時代に、「利根川東遷(とねがわとうせん)事業」と呼ばれる度重なる河川改修により現在の流路となりました。利根川東遷事業については、以前も簡単に紹介しましたが、追って少し詳細に話をしてみたいと思います。

 

利根川の上流は水源の大水上山から群馬県伊勢崎市八斗島(やったじま)まで、中流はその八斗島から千葉県野田市関宿の江戸川分流点まで、下流は江戸川分流点から河口までと、それぞれ区分されています。中流域にある利根大堰(とねおおぜき)で河水は武蔵水路などによって荒川に分流、その後、渡良瀬川を合流します。荒川は、江戸時代初期頃までは現在の埼玉県越谷市、吉川市付近で利根川と合流し江戸湾に注いでいましたが、現在は独立した荒川水系を形成しています。利根川の下流域では江戸川、利根運河を分流する一方、鬼怒川や小貝川(こかいがわ)を合流します。

 

「利根川(刀祢河泊)の川瀬も知らずただ渡り、波にあふのす逢へる君かも」。『万葉集』巻十四、東歌「上野国の歌」で、利根川の名称が最初に出てくる文献です。利根川の名称については諸説あるようで、「利根(刀祢)」とは水源地の辺りに見られる尖った峰「尖き峰(ときみね)」が簡略転化したという説、大水上山の別称「刀嶺岳」・「刀祢岳」・「刀根岳」・「大刀嶺岳」に由来したという説、「等禰直(とねのあたい)」或いは「椎根津彦(しいねつひこ、とねつひこ)」という神の名に由来するという説などがあります。

 

暴れ川として流域に幾度となく大きな災害を与えた利根川ですが、その一方で関東地方の母なる大河として多くの恵みを人々にもたらしました。利根川による災害を抑え、恵みを更にもたらすべく、時の為政者が治水・利水に苦労してきたわけですが、それを成功させたのが江戸時代に行われた利根川東遷事業です。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年11月 7日 10:15に書いたブログ記事です。

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