東藝術倶楽部瓦版 20191112:【江戸の川その10】内川廻りの大動脈-「江戸川」

 

おはようございます。昨日の東京は雨が降ったり止んだりの天気でしたが、今日は一転して好天に恵まれています。立冬も過ぎ、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒へと次第に寒さが増していきます。風も冷たくなったとはいえ、まだ小春日和のような温かさを感じるときもあり、気候変動による季節感のズレが今後どうなっていくのか、気になるところです。

 

さて、本日は前回の荒川に続き、「江戸川(えどがわ)」について紹介したいと思います。現在の江戸川は、千葉県の北西端に位置する野田市関宿(せきやど)の分岐点で、利根川の本流から分かれて千葉県と埼玉県、東京都の境を南に向かう利根川の支流としての一級河川です。水系はもちろん利根川水系に属し、延長は約60キロメートル、流域面積は200平方キロメートルで、千葉県市川市で本流の江戸川(江戸川放水路)と旧流路である旧江戸川に分かれ、東京湾に注いでいます。

 

江戸川は、古くは渡良瀬川の下流部で、「太日川(ふとひがわ)」と呼ばれ、今は行幸湖(みゆきこ)となっている権現堂川の河道を通り、下総国葛飾郡の真ん中を南流して江戸湾に注いでいました。また、太日川の西側には江戸湾に注ぐ利根川の旧河道が並行して流れていました。

 

元和7年(1621年)に、「利根川東遷事業」の一環として伊奈忠治によって行われた浅間川の締切りや新川通の開削などによって利根川と渡良瀬川が合流、権現堂川・太日川が利根川の下流となり、ほぼ現在の江戸川の河道となります。寛永12年(1635年)から正保元年(1644年)にかけて、現在の江戸川上流部が開削されて関宿から分流する現在の江戸川の姿が形成されました。

 

承応3年(1654年)に赤堀川の掘削により利根川東遷事業が完成すると、利根川の水が香取海へと注がれ利根川の本流となり、銚子河口までつながる水運の航路が確保されることになります。東北地方や北関東からの物資は、銚子や涸沼(ひぬま)、霞ケ浦を経由して利根川を遡り、江戸川を下って江戸へと運ばれるようになりました。江戸川周辺からも野田の醤油や流山のみりんなどが江戸に運ばれていました。江戸川沿いは多くの河岸が作られ、賑わいます。江戸川は「内川廻り」の重要な大動脈であったのです。

 

江戸川を利用する利根川水運は、明治末年までは栄えていましたが、鉄道の開通によって徐々に衰退していきます。江戸川は、現在では江戸川低地の幹線排水路、千葉県東南部・江東地区の上水道、農業用水などとして利用されています。

 

大正8年(1919年)、洪水対策の一環として江戸川の河口部に長さ2.8キロメートル、幅300メートルの江戸川放水路が開削されます。昭和18年(1943年)には放水路との分岐点に江戸川水門を建設し、水害対策は更に強化されました。昭和40年(1965年)に江戸川放水路が江戸川の本流とされ、従来の流路は「旧江戸川」と呼ばれるようになりました。旧江戸川は、東京都江戸川区で新中川と合流し、東京ディズニーランドの西側で東京湾に注いでおり、全区間に渡って東京都と千葉県の境界となっています。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年11月12日 13:37に書いたブログ記事です。

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