東藝術倶楽部瓦版 20191114:【江戸の川その12】綾瀬川流域開発を可能とした「備前堤」

 

おはようございます。今朝の東京は幾分か温かく感じます。昨夜は少し雨が降ったようで、道路が濡れていましたが、今は雨も降っていません。都心でもそろそろ木の葉の色が黄色くなり始め、植物も冬に向かって準備を整えつつあるところでしょうか。明日は所用により瓦版がお送りできません。ご了承ください。

 

さて、本日は江戸時代初期のもう一つの河川事業である「備前堤(びぜんづつみ)」の整備について紹介してみたいと思います。備前堤は慶長年間(1596年~1615年)に、関東郡代の伊奈備前守忠次によって築かれた堤防で、その目的は綾瀬川下流域で頻発していた水害を抑えるためであったと言われています。

 

綾瀬川は埼玉県中東部にある桶川市小針領家(こばりりょうけ)付近の田園から集まる落水が源流となり、埼玉県内を南流して東京都葛飾区内で中川と合流し、東京湾に注ぐ一級河川です。川の長さは47.6キロメートル、流域面積は176平方キロメートルです。もともとは利根川と荒川の本流を成して江戸湾に注いでおり、当時の利根川と荒川は現在の元荒川の川筋をたどり綾瀬川に流れ込んでいました。

 

備前堤が築かれたのは高虫村(埼玉県蓮田市高虫)と小針領家村(埼玉県桶川市小針領家)の間で、その長さは500間(900メートル余)、底部幅6間(約11メートル)、上部幅2間(約3.6メートル)です。この堤により赤堀川を締め切ることで荒川(元荒川)と綾瀬川が切り離され、綾瀬川中下流域の水害が抑えられ、低湿地の開発と綾瀬川流域の用水源の確保が可能になりました。

 

こうした部分的な河川整備の積み重ねが、利根川東遷事業という一大プロジェクトの下地になっていくのです。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年11月14日 10:25に書いたブログ記事です。

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