東藝術倶楽部瓦版 20191205:【江戸の川その22】広大な新田開発を促す-「関東三大堰」

 

おはようございます。一昨日から昨日にかけて、関東北部では小規模な地震が続いています。地震の揺れは大きくても震度4程度ですが、続いているだけに心配にはなります。気象庁によれば、これらの地震の関連性は不明とのことですが、地震発生の正確なメカニズムが分からないだけに、不安は残るばかりです。NHKでは地震に関するドラマ仕立ての番組が放送されていますが、何か予兆のような関連性も感じざるを得ません。

 

さて、本日は前回の小貝川で話題に出ました「関東三大堰」について紹介しようと思います。利根川東遷事業の一環として鬼怒川と小貝川を常陸川に合流させ、小貝川流域の治水事業と新田開発を進めてきたことは、前回ご説明した通りです。その小貝川の瀬替えと伴に、灌漑用水として建設が進められたのが「福岡堰(ふくおかぜき)」、「岡堰(おかぜき)」、「豊田堰(とよたぜき)」の3つの堰で、関東三大堰と言われています。この3つの堰は江戸時代初期を代表する溜井(ためい)方式の堰であり、また規模の大きさからも関東地方有数の堰とされていました。これらの堰の建設にあたったのは、利根川東遷事業を担った関東郡代の伊奈半十郎忠治です。

 

この三大堰のうち、最大のものが福岡堰です。元和年間(1615年~1624年)の新田開発に伴い、寛永2年(1625年)に設けられた堰です。現在は茨城県つくばみらい市北山にありますが、当初は「山田沼堰」と言われるように北山の上流にある山田沼に設置されていました。この堰は、谷和原三万石の水田を潤していました。この山田沼堰が今の北山、当時の福岡地区に改設されたのは享保7年(1722年)のことで、それ以降、福岡堰と呼ばれるようになります。その後、明治19年(1886年)、大正12年(1923年)に改築が行われ、現在の堰は昭和46年(1971年)に再改築されたものです。貯水量275万トン、灌漑面積は小貝川下流左岸に広がる2,800ヘクタールに及んでいます。

 

福岡堰頭首工(とうしゅこう)〔取水口〕から元圦樋管(もといりひかん)〔堤防を横断する水路〕までの1.8キロメートルの堤には、約550本のソメイヨシノが植えられており、茨城県内でも有数の桜の名所になっています。

 

小貝川が鬼怒川と切り離された寛永6年(1629年)の翌年の寛永7年(1630年)に、相馬二万石の広大な新田を潤すために岡堰が設けられます。岡堰の始まりは、小貝川と鬼怒川の分離工事の際に築かれた小貝川を横断する土堰です。岡堰は福岡堰より下流で、ちょうど福岡堰と豊田堰の中間地点、現在の茨城県藤代町にあります。岡堰は小貝川の強い水流を変えるために、萱と竹を使った独自の工法である「伊奈流」が使われ、この工法が後々まで堤防・堰決壊の際にはかなり役立ったと言われています。岡堰においても、当初の場所から少し下流に新しく建設されたのが、現在稼働中のものです。

 

そして、茨城県利根町に設けられたのが小貝川最下流にある豊田堰です。この堰が最初に完成したのは寛文7年(1667年)のことで、当時の堰は現在のものより150メートル上流に設置されていました。豊田堰も灌漑用水の水源として周辺地域の農業生産に重要な役割を果たしてきました。現在の堰は昭和52年(1977年)に完成したもので、長さ275メートル、茨城県竜ケ崎市西部地域1,800ヘクタールに灌漑用水を供給しています。

 

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年12月 5日 10:36に書いたブログ記事です。

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