東藝術倶楽部瓦版 20191220:【江戸の川その27】六堰からの水争い-「大里用水」

おはようございます。今週もあっという間に過ぎてしましました。明後日からまた北京、天津と出張に行ってきます。次にお送りできるのが、今年最後の瓦版になりそうです。今年もまた特に何か大きく飛躍したのかと言われれば、特段そんな変化を感じるようなことはありませんでしたが、自分としては地道に努力を続け、毎日を過ごしてきたという自負はあります。徐々にではありますが、着実に成長している自分にやっと気が付いてきたのかもしれません。ただ、そのことに慢心せずに、引き続き努力を重ね、更なる成長を目指して、気を引き締めていきたいと思います。努力を続けていても、なかなかその成果が目に見えて現れてこなかったことが、自分の成長につながってきたのかとも思っています。

 

さて、本日は「大里用水(おおざとようすい)」について紹介したいと思います。以前、「六堰」について紹介した際に、その六堰から取水する用水を総称して大里用水、または「六堰用水」と呼んでいると説明したことがありました。大里用水は、荒川水系中最大の灌漑用水で、現在は埼玉県深谷市にある新六堰頭首工(ろくぜきとうしゅこう)から取水され、熊谷市、行田市、深谷市、鴻巣市に跨る約3,820ヘクタールに及ぶ水田に農業用水を供給しています。

 

慶長7年(1602年)に「奈良堰」が作られたのを皮切りに相次いで6つの堰が設けられたことは、以前紹介した通りです。当時の堰は、今のようにコンクリートや鉄筋などを使って耐久性がある程度保たれていたわけではなく、木や石を組み合わせて作っていたために、大雨が降れば堰が流されやすく、そのたびに復旧工事を行わなければなりませんでした。そうした工事には各村から総出で修理にあたり、修理にかかる費用も尋常ではありませんでした。

 

また日照りが続いて荒川の水量が減少した際には、水の取り合いで争いが起こります。江戸時代には六堰それぞれから取水するものですから、水争いも余計に激しさを増していました。こうした争いを解決するための手段として、六堰を1つにまとめることになりました。そして、六堰頭首工が完成したのは昭和14年(1939年)のことです。

 

大里用水の名称は、大里地区に位置することから名付けられました。現在、この大里用水を構成する用水路としては以下の用水路があります。

【左岸幹線導水路】

奈良堰幹線用水路:増田堀用水路、左三尺用水路、北堀用水路、南堀用水路(長安寺用水路)

玉井堰幹線用水路:玉井用水路、代堀(日向島用水路、今井用水路)、柿沼堀(中島用水路、青木用水路、下川上用水)

大里幹線用水路:成田用水路、箱田用水路(衣川用水路、平戸用水路)

荒川左岸幹線用水路〔星川〕:杣殿(そまどの)用水路、左幹線用水路(前谷落排水路)

【右岸幹線導水路】

御正吉見堰(みしょうよしみぜき)幹線用水路:吉見幹線用水路(手島用水路、村岡用水路)

五所(ごしょ)用水路

本畠(ほんぱた)用水路

小原(おはら)用水路

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年12月20日 09:00に書いたブログ記事です。

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