東藝術倶楽部瓦版 20191227:【江戸の川その28】霊力を持つ川-「多摩川」

おはようございます。今月2回目の北京出張を終え、本日最後の出勤日を迎えました。我が職場では、昼には納会が行われ、午後は挨拶回りや残務整理をするなど、各自の都合に応じて帰宅が許されています。私の場合はといえば、出張のためにできなかった事務机の周りの整理と、休暇中に在宅で行う仕事の資料集めで1日が終わりそうです。今年も何かと忙しい1年でしたが、やりたいことが十分にできずに楽しみが来年に持ち越されたこと、とはいえ、決して未練があるわけでなく、引き続き来年も健康で安全・安心に生活や仕事を楽しみたいと思います。年明けの瓦版は1月6日(月)からです。皆さんが楽しめるような内容をお送りできるよう努めたいと思います。よいお年をお迎えください。

 

さて、これまで利根川水系や荒川水系といった江戸の北東側を流れている川を紹介してきましたが、本日は江戸の西側を流れる「多摩川(たまがわ)」について紹介しようと思います。多摩川は、山梨県東部から東京都西部を経て、東京と神奈川の都県境を流れて東京湾に注ぐ一級河川です。多摩川の本流として多摩川一級水系を形成しています。

 

山梨県北東部(甲州市)の埼玉県との県境にある笠取山(かさとりやま)〔標高1,953メートル〕の南斜面下「水干(みずひ)」に端を発した「一之瀬川(いちのせがわ)」は、柳沢峠から流れ込んでくる「柳沢川」と合流すると、そこから下流が「丹波川(たばがわ)」と呼ばれ奥多摩湖に注ぎます。実際に多摩川と呼ばれるのは、この奥多摩湖水の出口である「小河内(おごうち)ダム」より下流になります。

 

総延長は138キロメートル、流域面積は1,240平方キロメートルに及び、奥多摩湖から流れ出た水は、東京都青梅市までは山中を東に流れ、青梅からは概ね南東に多摩丘陵と武蔵野台地の間を下っていきます。その後、東京都調布市と神奈川県川崎市の辺りから都県境を流れて、東京都大田区と川崎市川崎区との境で東京湾に流れ込みます。下流部の国道1号線(第二京浜)に架かる多摩川大橋(東京都大田区と神奈川県川崎市幸区をつなぐ)より下流は、特に「六郷川(ろくごうがわ)」とも呼ばれています。「調布(たつくり)の玉川」という古称もあります。

 

多摩川流域では旧石器時代以降の遺跡や古墳が見付かっており、かなり早い時代から人々が定住していたことが証明されています。関東平野を流れる他の川と同じように、この多摩川も勾配が急なこともあり「あばれ川」としてもよく知られていました。氾濫のたびに流路が変わり、現在の流路になったのは天正18年(1590年)に起きた大洪水からだと言われています。

 

徳川家康が関東転封となり、多摩川下流の扇状地での水稲生産を拡大するため、家康は慶長2年(1597年)に用水奉行の小泉次大夫(こいずみじだゆう)に命じて多摩川両岸の灌漑用水路の整備に着手し、慶長16年(1611年)に右岸に「二ケ領用水(にかりょうようすい)」、左岸に「六郷用水」が完成しました。また、江戸時代初期に開削されたとされる「大丸用水(おおまるようすい)」、承応3年(1654年)に取水が始まった左岸の「玉川上水」などの用水路も相次いで整備され、多摩川下流の低地や台地に豊富な農業用水や飲用水がもたらされました。これにより、米の生産量が飛躍的に伸び、江戸の人々の生活を支えることになります。また、江戸時代には筏による物資輸送にも多摩川は利用されていました。

 

多摩川は昔から水質が良く、清流を好む鮎が多く生息していたことから鮎漁が盛んで、将軍家にも献上されていました。また、多摩川では川砂利採掘にも適しており、幕府御用の砂利としても多く利用されていました。ただ、明治以降は鉄道建設や鉄筋コンクリート住宅等への砂利の需要が急増し、過度の採掘によって河床が低くなり、潮位によっては塩分を多く含む河口の水が遡行して農業用水や水道原水に流入する被害が続出するなどの問題も生じています。

 

多摩川の名の由来には諸説あります。最も有力だと言われているのは、山梨県丹波山(たばやま)、丹波川(たばがわ)の「タバ」が「タマ」に転化したとする説です。また、「タマ」は「霊魂」に通じ、「霊力を持つ川」や「神聖なる川」から付けられたとする説があります。「タマ」は「玉石(たまいし)」に通じ、「玉のように美しい川」とする説、「渟(たまり)」から「溜まれる水」を意味するとする説、そして「田間(たま)」、つまり「水田が広がっている場所」を指す説があります。実際に江戸時代には「玉川」と表記されることが多かったようで、今でも「玉川上水」、「二子玉川」といった固有名詞という形で残っています。ちなみに『万葉集』では「多麻河」という表記もみられます。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年12月27日 09:13に書いたブログ記事です。

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