東藝術倶楽部瓦版 20200121:【江戸の川その33】9ケ村で共同管理-「大丸用水」

おはようございます。中国での新型コロナウイルスによる肺炎患者が広がりをみせています。湖北省武漢のほか、北京や深圳でも患者が見付かっており、人から人への感染も確認されてしまいました。ただ、感染や患者に関する情報開示が進んでいることから、SARSの時ほど深刻な状況にはなっていないようですが、昨日も話をしたように春節に向けた中国人民の大移動が始まっていますので、爆発的な感染の懸念はあります。私も先週帰国してから特段の感染の兆候は見られず、今回は大丈夫だろうとは思っていますが、今後も出張が続きますので、身体の抵抗力を向上させるよう努めたいと思います。

 

さて、本日は「大丸用水(おおまるようすい)」について紹介したいと思います。大丸用水は、多摩川を水源として、現在の東京都稲城市大丸から神奈川県川崎市多摩区登戸までを流れる灌漑用用水のことを指します。江戸時代以降、周辺の村々を潤す重要な農業用水として維持・管理されてきました。

 

稲城市大丸の一の山下〔南武線多摩川鉄橋のやや上流〕で取水された大丸用水は、南部線沿いに流れ、南多摩駅付近で谷戸川(やとがわ)の下をくぐって府中街道の手前で分量樋によって2つの大きな流れに分かれます。一の山下の取水堰は長さ約100間(約182メートル)あり、ここで堰き止められた多摩川の水は、横幅2間(約3.6メートル)の用水圦樋(いりひ)から大丸用水に取り入れられました。

 

府中街道手前の分量樋では、「大堀(おおほり)」と呼ばれる大丸村用の用水と、他村用の用水とに分けられます。それぞれの堀幅は大堀1に対して他村用が2、大堀は大丸村の南部を潤したのち、長沼村、矢野口村〔いずれも稲城市〕を流れ、川崎方面に向かい、三沢川に合流します。かつては「清水川」とも呼ばれ親しまれていましたが、現在は大半の区間が暗渠化され、流路をたどるのは難しくなっているようです。

 

一方の北寄りを流れる他村用の用水は、府中街道をくぐると大丸村の東部で「菅堀(すげぼり)」と「新堀(しんぼり)」に分かれます。新堀は長沼村の中央部を横切る形で流れ、菅村に入り、二ケ領用水と立体交差して中野島村及び登戸村〔いずれも川崎市多摩区〕の一部を潤します。その一部が三沢川や二ケ領用水に合流して多摩川に返ります。このうち下流部は「中野島用水」とも呼ばれています。

 

菅堀は長沼村の北部を迂回する形で流れます。さらに菅堀は押立村方面〔府中市〕に向かい、喧嘩口(けんかぐち)〔稲城市〕と呼ばれる分水口で三つの流れに分かれます。このようにいくつかの流れに分水された用水は、さらに網目状に分かれて矢野口方面から下流の川崎地域の村々の水田に水を供給していました。

 

大丸用水を使った地域は、武蔵国の橘郡と多摩郡という二つの郡に跨っていました。多摩郡(稲城市側)の大丸村、長沼村、押立村、矢野口村の4村と、橘郡(川崎市側)の菅村、中野島村、菅生(すがお)村、五反田村、登戸村の5村です。この合わせた9村で「大丸用水九ケ村組合」を組織し、用水の維持管理を行い、普請に使う資材は各村々で負担していました。当然、夏場の渇水時には水の配分をめぐっての水争いが起き、多摩川の用水堰設置をめぐる争いもあったようです。

 

大丸用水が設置された時期については諸説あり、多摩川沿いの他の用水路とほぼ同時期に開削されたと考えられています。慶長9年(1604年)、慶長16年(1611年)、元禄3年(1690年)などの説ですが、延享3年(1746年)に書かれた古文書である「佐保田家文書」によると、元禄12年(1699年)以来、大丸用水組合による修繕資材の負担が行われてたことが記されているので、遅くとも17世紀にはこの用水が設置されていたことは間違いありません。

 

近年は取水堰が改築され、沿川の宅地化に伴う一部流路の埋め立てや暗渠化によって昔の流路をたどることは難しくなっていますが、最近では緑道や親水施設が整備されて、市民の憩いの場ともなっています。 

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年1月21日 08:09に書いたブログ記事です。

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