東藝術倶楽部瓦版 20200128:【江戸の川その38】江戸の経済・運輸・文化の中心-「日本橋川」

おはようございます。今朝の東京は、昨日からの雨が降り続いています。東京都心は雪にはならなかったものの、冷たい風が吹いて、この私でも寒さを感じる状態です。普段はマフラーなどしないのですが、さすがに今朝は首に巻いてきました。これから局地的には雷雨や強い雨が予想されるなか、午後には日本貿易会への訪問が予定されています。

 

さて、本日は「日本橋川(にほんばしがわ)」について紹介しようと思います。日本橋川は、荒川一級水系に属する一級河川で、神田川を水源に東京都千代田区と中央区を流れ、隅田川に合流しています。

 

千代田区と文京区の境にある小石川橋で神田川から分岐した日本橋川は南に向かって流れます。本郷台地と麹町台地の北側の間の低地沿いを流れ、靖国通りと交差した後で南東方向に流れを変えます。皇居内堀の近くを流れた後、神田橋、日本橋、江戸橋などを通過して、中央区の永代橋付近で隅田川に合流しています。日本橋川は、ほぼ全流路に渡って首都高の高架に覆われており、神田川分岐直後から内堀に近い雉子橋(きじばし)辺りまでは首都高5号線、そこから亀島川を仕切る日本橋水門付近まで首都高都心環状線の下を流れています。首都高高架を離れて空を望めるのは亀島川分岐点辺りから隅田川合流地点までのわずか500メートル弱です。

 

江戸幕府開幕以降、平川につながる神田川開削の天下普請が行われたことは、すでに神田川を紹介した際に説明した通りです。三崎橋から堀留橋までが埋め立てられ堀留となり、飯田掘、或いは飯田川とも呼ばれていました。この埋め立てられた区間を再度神田川まで開削し、神川の派川として日本橋川と呼ばれるようになるのは、明治36年(1903年)以降のことですが、飯田堀は近代に至るまで河川舟運が発展し、流域は経済・運輸・文化の中心として大いに栄えました。堀の両側には鎌倉河岸、裏河岸、西河岸、魚河岸、四日市河岸、末広河岸、兜河岸、鎧河岸、茅場河岸、北新堀河岸、南新堀河岸などの河岸が点在し、全国各地から多くの商品が集積していました。

 橋川には、東京都の主要幹線道路と交差している有名な橋が架けられています。靖国通りの「俎橋(まないたばし)」、白山通りの「一ツ橋」、日比谷通りの「神田橋」、外堀通りの「一石橋」、中央通りの「日本橋」、昭和通りの「江戸橋」、新大橋通りの「茅場橋」などです。日本橋川流域を散策してみると、江戸の賑わいを知る趣がいまだに残っていることが分かります。願わくば、首都高の高架を早急に何とかしてもらいたいと思う次第です。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年1月28日 14:33に書いたブログ記事です。

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