東藝術倶楽部瓦版 20200207:【江戸の川その42】北十間川から隅田川に続く「大横川」

おはようございます。昨日は急用により瓦版がお送りできず、失礼しました。一昨日5日(水)、夕方5時からのテレビ東京の「夕方サテライト」というニュース番組で、前日の夕方に新型コロナウイルスの日本企業への影響について取材を受けた私が出演しました。インタビューを受けた中でほんのわずかな時間でしたが、日本の全国版のメディアで放映されたのは初めてのことかと思います。中国メディアやNHKの地方版での放映は過去ありましたが...。中国発の新型コロナウイルスによる感染拡大は、拡大する一方で収束する気配はいまだ見えません。当然、経済への影響は、長引けば長引くほど大きくなります。日本経済、ひいては世界経済が大きく後退する事態にもなりかねません。中国が開発中の生物兵器が漏れ出した、中国の発表する数字は信用できないなどといった噂も飛び交い、いったいどの情報が正しいのか見当もつかない中では対策を打つ手立てはありません。今は悪者探しをするよりも、一刻も早い解決方法を見つけ出すのが先決です。勝手な憶測に惑わされず、正しい情報発信の把握に努めることが大切です。来週から今月末にかけては、今まで以上に多忙が続くため、瓦版の発信も十分にできないこと、ご容赦ください。取り急ぎ来週月曜日2月10日は休刊です。ご理解の程、よろしくお願い致します。

 

さて、本日は「大横川(おおよこがわ)」について紹介しようと思います。大横川は東京都墨田区から江東区を流れる運河であり、延長7.11キロメートルの一級河川で、かつては「大島川(おおしまがわ)」と呼ばれていた部分も含まれています。現在は、昭和40年(1965年)の河川法の改正で大横川に統一されていますが、派流として「大島川西支川」、「大島川東支川」、「大島川水門」等の名称は依然として残っています。




墨田区の業平橋付近、江戸時代の地名では中之郷八軒町(なかのごうはちけんちょう)〔墨田区吾妻橋三丁目〕と中之郷村(なかのごうむら)〔墨田区業平一丁目〕辺りで、前回紹介した北十間川から分離して南に流れるのがこの大横川です。「竪川(たてかわ)」、「小名木川(おなぎがわ)」、「仙台堀川」と交差し、「横十間川(天神川)」と合流し、江東区木場付近で西に流路を変えます。「大横川南川支川」を分流し、「平久川(へいきゅうがわ)」と交差します。江東区永代で「大島川西支川」を合わせ、その先で隅田川に合流します。以前は、仙台堀川を過ぎると、「平野川」と呼ばれていました。

大横川は、もともと江戸時代に埋め立てられた場所にできた運河で、竪川と大川(隅田川)の間の「十万坪」と呼ばれる葦原を流れていました。その後、竪川との交差地点から北十間川まで延長されました。これもまた明暦の大火後の本所・深川開発に伴って、万治2年(1659年)に本所奉行の徳山五兵衛重政と山崎四郎左衛門重政により開削されたものです。

 

大横川の名称は、江戸城から見て横(南北)に流れることに由来しています。竪川を境として北側を「北横川」、南側を「南横川」と呼び、更に小名木川より南は元禄8年(1695年)、乙亥(きのとい)に開削されたことから、「亥の堀」とも称されていました。

 

その後、周辺の地域が地下水汲み上げによる地盤沈下のために海抜ゼロメートル地帯となって、今では堰き止められて常時排水することで水位が下げられています。


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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年2月 7日 08:15に書いたブログ記事です。

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