おはようございます。連日連夜報道される中国発新型コロナウイルス感染のニュース。横浜港に停泊しているクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の船内で広がる感染者数は尋常ではありません。非常に感染力が強いウイルスであることは分かります。報道をみていると、重症者の多くは既往症を抱えているようですが、中国では健常者でも重篤に陥る場合もみられ、一番の不安はウイルスの正体がはっきり分からないということでしょうか。これほどまでに大騒ぎになる理由が、今一つ分からないところですが、現在の推計では致死率は2%とSARSの5分の1ほど。インフルエンザが0.1%ほどですから、その20倍と考えると、確かに恐怖を覚えるのは当たり前でしょうか。感染防止の措置も必要でしょうが、先ずはそれぞれの人が抵抗力を落とさないよう健康でいることが大事かと思います。
さて、本日は「本所割下水(ほんじょわりげすい)」について紹介してみましょう。墨田区の南側に位置する本所は、江戸時代初期は水田が広がる農村地帯でした。明暦の大火をきっかけに、大川(隅田川)に両国橋が架けられ、大川の東側の開発が進んだことは、以前に何回も説明している通りです。前回の竪川と同様に、この水はけの悪い地域の排水路として整備されたのが本所割下水です。
本所割下水は、もともと水田の用水路として使われていた溝を改造して割下水としていました。割下水には、現在の両国の江戸東京博物館から錦糸町方面に伸びる「北斎通り」を通っていた「南割下水(みなみわりげすい)」と、本所一丁目から錦糸四丁目辺りまでの「春日通り」を流れていた「北割下水(きたわりげすい)」の二本の割下水がありましたが、一般的に本所割下水と呼ばれるのは南割下水を指していたようです。
本所割下水が整備されたのは万治3年(1660年)、他の本所界隈の用水路とほぼ同じ時期です。南北両割下水ともに「大横川」と交差し、「横十間川(よこじゅっけんがわ)」に合流しており、直接大川には流れ込んでいませんが、この横十間川が最終的に大川に合流していました。本所割下水の川幅は一間(1.8メートル)から二間(3.6メートル)足らずで、道路の真ん中を掘り割った「堀割」であったことから割下水と呼ばれていました。
割下水は確かに排水路ではありましたが、生活用水等の汚水を流すわけではなく、主に雨水など自然水の排水路であり、川魚や沢蟹、蛙など多くの生物が棲んでいました。江戸時代に「井出よりも蛙の多い割下水」という川柳がありますが、京都の井出の玉川より蛙が多いといって、その蛙の多さを風刺しています。この割下水も今では暗渠となって姿を消してしまいました。
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