東藝術倶楽部瓦版 20200226:【江戸の川その51】油問屋で賑わう「油堀」

おはようございます。今朝の東京は、昨夜からの雨が大分小降りになり、傘をさすほどでもなくなっています。新型コロナウイルス感染の話題も尽きず、昨日のニューヨーク株式市場も更に下落を続け、インドネシアの首都ジャカルタでは豪雨による洪水で都市機能の大半が機能不全に陥っているようです。ますます先の読めない世の中になってきています。

 

さて、本日は「油堀(あぶらぼり)」について紹介したいと思います。油堀は隅田川の東岸沿い、東京都江東区深川の下之橋から富岡八幡宮の裏を通り、木場に達する運河で、「油堀川(あぶらぼりがわ)」、「十五間川(じゅうごけんがわ)」とも呼ばれています。

油堀は、元禄年間(1688年~1704年)に開削され、物資の輸送が盛んでした。油堀沿岸の、現在の佐賀町や福住町の両岸には油問屋が多かったことから、油堀の名称が付けられました。緑橋の南西側には油商人会所があり、油堀河岸と呼ばれていました。

 

隅田川から佐賀町(江東区佐賀)で東に分流した油堀は、大島川西支川(油堀西横川)、平久川(三十間川)と交差し、鶴歩町と島田町(いずれも江東区木場)の間を流れ、大島川東支川を横切って、木場堀に注いでいました。大島川西支川は、仙台堀川から今川町(佐賀)と永堀町(江東区福住)の間で分かれ南に流れる運河で、油堀を横切った後は東側に流れ、相川町と中島町(いずれも江東区永代)の間で大島川(現在の大横川)と合流して隅田川に注いでいました。

 

大島川は、木場から永代を流れて隅田川に注ぐ川で、今は大横川という名称になっています。平久川は仙台堀川から大島川と平野川の合流地点につながる堀で、木場の西側を南北に流れています。平野川は大横川の流れが茂森町(木場)と豊住町(江東区東陽)の間を流れ、木場町(木場)と洲崎町(東陽)の間で西に折れ、入船町(木場)に続き、その後、数矢町(江東区富岡)から西に大島町(永代)へと流れ、その先は平久川と合流して大島川となり、隅田川に注ぐ流れとなっていました。

 

油堀は昭和50年(1975年)に埋め立てられ、昭和55年(1980年)にはその上に首都高速9号線が開通しています。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年2月26日 08:14に書いたブログ記事です。

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