おはようございます。「コロナよりも怖いのは人間だった」との見出しのニュース。今の地球の本質をついた言葉なのかもしれません。ウイルスが流行し始めるとマスクやアルコール消毒液の買い占めが始まり、店頭から商品がなくなって、本当に必要なときに買えないという事態が生じます。そして今度はトイレットペーパー、ティッシュペーパー、紙おむつ、更には冷凍食品やインスタント食品、缶詰などの保存食品に至るまで。誤った情報に翻弄される人々の醜い姿は、客観的にみていても怒りを通して滑稽さを覚えます。今の地球人は、自分たちの無知、無明の愚かさを知り、それ自体を恥じるべきです。
さて、本日は「新堀川(しんぼりがわ)」について紹介したいと思います。新堀川は、17世紀の半ばに、江戸幕府が入谷(東京都台東区)、千束(台東区)の田圃の排水と舟運のために開削した水路で、昭和初期には暗渠化されてしまいました。
新堀川は、もともとは音無川から分流した「千束堀川」の下流部分にあたります。現在の千束一丁目にある金竜小学校の際をまわり、松が谷、元浅草、三筋、鳥越と西浅草、寿、蔵前との境を南に流れ、浅草橋三丁目で鳥越川と合流していました。
吉原遊郭を囲む「お歯黒どぶ」は、音無川から水が引かれてくるのですが、遊郭の東南側の堀の跡が今の花園通りです。この堀とそこから南側へ向かう流れが千束堀川です。現在のかっぱ橋通り辺りから下流が新堀川となっていたようです。
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