東藝術倶楽部瓦版 20200305:【江戸の川その56】長池から不忍池まで名前が変わる「藍染川」

おはようございます。昨日、4月に予定されている中国の習近平国家主席の訪日について、外務省から延期の通達がなされるとの情報があり、茂木外務大臣や菅官房長官などの発言が注目されていましたが、結果としてそのような趣旨の発言はありませんでした。中国側外交部の定例記者会見も同様で、現時点では予定通りの来日日程で準備が進められています。無駄な作業が続くのかもしれません。明日は所用のため、瓦版をお休みさせていただきます。

 

さて、 本日は「藍染川(あいぞめがわ)」について紹介しようと思います。隅田川の西側を流れる藍染川には、染井霊園付近(豊島区巣鴨)の長池を水源として台東区上野の「不忍池(しのばずのいけ)」に注ぐ流れと、新石町(千代田区内神田)を水源として神田川に流れ込んでいた流れの2本の川があります。ここでは、長池から不忍池に流れ込む藍染川についてみていきます。

 

藍染川は、巣鴨や王子辺りを水源として、現在の東京都北区、荒川区、文京区を通って台東区の上野不忍池に注ぎ込んでおり、現在は流域のすべてが暗渠となっています。藍染川といっても、そう呼ばれるのはこの流れのほんの一区間、すなわち台東区根津付近から不忍池までの流れで、水源から根津付近まではそれぞれ違う名称で呼ばれています。水源から西ヶ原(北区)までは「谷戸川(やとがわ)」、駒込付近(豊島区)では「境川(さかいがわ)」、田端付近(北区)では「谷田川(やたがわ)」、その後は「蜆川(しじみがわ)」、「蛍川(ほたるがわ)」と名前を変え、藍染川となります。短い河川ですが、それぞれの地元にとっては生活に密着した親しみのある流れではなかったかと思います。

 

先ほど藍染川の源流は染井霊園にある長池と紹介しましたが、元々は石神井川ではなかったかと言われています。約6000年前に起きた有楽町海進によって崖端浸食(がけばたしんしょく)により河川争奪が起こり、石神井川の流路が変更されて隅田川に流れ込むようになり、分断された藍染川の水源が長池周辺の湧き水になったというのです。つまり、石神井川の下流部は元々藍染川であったのではないかと。とはいえ、江戸時代には長池からの流れが藍染川となって不忍池に流れ込んでいた事実は変わりません。もちろん、水源は長池に限らず、周辺の湧き水が集まってその流れを形成したものと思われます。

水源とされる長池は、江戸時代末期、巣鴨の御薬園と伊勢津藩・藤堂家32万石の抱え屋敷にまたがる広大な池で、長さは158メートル、幅は32メートルもあったと言われています。現在は埋め立てられて都立の染井霊園の一部になっています。

 

藍染川の語源は、読んで字のごとく、川筋に染物屋があって、川の色が藍色に染まっていたからだというのが有力です。もう一つ、根津にあった遊郭の遊女との関連で、「初めて会う」にかけて名付けられた説もあるようです。

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このブログ記事について

このページは、東藝術倶楽部広報が2020年3月 5日 12:50に書いたブログ記事です。

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