おはようございます。明日、3月14日から東京の山手線の新駅「高輪ゲートウェイ駅」が開業します。新型コロナウイルスの影響で、どれだけの人が集まってくるのか分かりませんが、新しモノ好きの日本人としては一度のことだからということで、それなりに賑わうのではないかと思います。もちろん、人混みが嫌いな私は行くつもりはありません...というか、用事もないのにわざわざ駅を見に行くほど鉄道好きでもありません。この「高輪ゲートウェイ」の駅名が、甚く評判が悪い。江戸時代にあった「高輪大木戸」をイメージした名称のようですが、横文字に拘りのない私とすれば、それならそのまま「高輪大木戸駅」でよいのではないかと思う次第です。グローバル化の流れで、何かと横文字が使われるようになった今日ですが、果たしてその意味が本来の日本語の概念と同じか否かを、よく考えてみる必要があります。来週、所用により月曜日16日、火曜日17日の瓦版はお休みさせていただきます。
さて、本日はもう一つの「藍染川(あいぞめがわ)」について紹介したいと思います。以前、染井霊園辺りを水源として不忍池に注ぐ谷田川の下流部にあたる「藍染川」を紹介しましたが、今回紹介する藍染川はそれとは別の河川です。
この藍染川の水源がどこかははっきりしていません。しかし、明治5年(1872年)の『東京府志料』によると、「水源は新石町ヨリ東流シテ神田鍛冶町紺屋町ヨリ神田富松町ニ至リテ神田川ヘ入ル小溝ナリ 此水紺屋町辺を流ルゝ故ニ藍染川ノ名アリ」とあるように、「新石町(しんこくちょう)」〔千代田区内神田三丁目辺り〕から現在の神田駅西口通りを東に流れ、「神田鍛治町(かんだかじちょう)」〔鍛冶町〕、「紺屋町(こんやちょう)」〔神田紺屋町、岩本町〕より「神田富松町(かんだとみまつちょう)」〔東神田〕に流れて、「美倉橋(みくらはし)」〔新シ橋(あたらしばし)〕の下流で神田川に合流していました。
この川の長さは34町24間(約3.75キロメートル)、幅は2~3間(3.6~5.5メートル)、深さ1間~5尺(1.5~1.8メートル)とあり、比較的小さな川であったことが分かります。先の『東京府志料』にあるように、当時、紺屋町辺りには染物屋が多くあって染物をこの川で晒していたことから、藍染川の名が付けられたものと思われます。現在では染物屋の影をみることはありません。
江戸時代、藍染川が神田川に流れ込んでいた手前のところに「下水溜」があり、ここに杭を打って、川を流れてきたごみをくい止めてすくい上げていました。明治に入り、「神田下水」が造られることになって、この藍染川も埋め立てられたということです。
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