東藝術倶楽部瓦版 20200318:【江戸の川その62】行き止まりをつなげて外堀へ-「浜町堀」

おはようございます。株式市場が完全に混乱状態にあります。最近の株価の超乱高下は異常な状態です。新型コロナウイルスに世界全体が翻弄され、政治、経済、社会全体がおかしくなってきています。ウイルス対策も先が見えず、取り敢えず人の往来をシャットダウンすることで感染を防ぎ、自然に収まるのを待つだけの日々を過ごす。結局、人間の無力さを思い知らされたわけです。こんな状態で、各国政府がウイルスの封じ込めに成功した...などと、声高らかに宣うならば、人々の嘲笑をかうだけのことでしょう。

さて、本日は「浜町堀(はまちょうぼり)」について紹介しようと思います。浜町堀は、「浜町川」とも呼ばれ、下流側は浜町(中央区日本橋浜町)と蛎殻町(日本橋蛎殻町)の間で箱崎川を経て大川(隅田川)に注ぎ、上流側は亀井町(日本橋小伝馬町)で「龍閑川(りゅうかんがわ)」に繋がっていました。龍閑川については後日紹介しますが、江戸城外堀につながっていました。

浜町堀が最初に開削されたのは元和年間(1615年~1623年)の頃で、埋残し工法による水運のために作られたものです。埋残し工法とは、船着場を設けるための行き止まりの水路を建設する工法で、大川から流れ込む入堀でした。

の川筋を元禄4年(1691年)に北側に延長して龍閑川と直角に合流させ、外堀につなげるようにしました。外堀は日本橋川にも繋がっており、これによって日本橋の賑わいが加速されることになったのは言うまでもありません。

明治16年(1883年)に、この水路は更に延長されて神田川に合流します。しかし、戦後は戦後の残土で埋め立てられて、現在、浜町堀の一部は「浜町緑道公園」となっています。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年3月18日 10:15に書いたブログ記事です。

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