東藝術倶楽部瓦版 20200611:【江戸の川その80】商店街で賑わっていた宇田川町-「宇田川」

おはようございます。雨の予報だった今朝の東京都心は、雲の間から太陽が顔をのぞかせ眩しい日差しが窓から差し込んできています。風が強く、これから次第に雲が増えて午後から雨が降り出すようです。西日本はすでに梅雨入り、関東も今日辺りは梅雨入りの可能性がありそうです。明日は所用により、瓦版はお休みさせていただきます。

 

さて、本日は「宇田川(うだがわ)」について紹介しようと思います。江戸時代、現在の港区東新橋二丁目、新橋六丁目、浜松町一丁目、芝大門一丁目辺りに「宇田川町(うだがわちょう)」という町があり、その辺りを流れていた川を宇田川と呼んでいました。

 

現在は埋め立てられていて存在していませんが、次回紹介する八丁堀川とは別の「桜川(さくらがわ)」から大横町(愛宕警察署辺り)で分流し、宇田川町(新橋と芝大門の間)を経て新銭座町(東新橋)の南側を流れて、浜離宮庭園の西南角辺りで海に注いでいました。この宇田川が東海道を横切る場所(第一京浜の浜松町一丁目交差点やや北側)には、宇田川橋が架かっていました。

 

宇田川の地名ですが、江戸時代の地誌『御内府備考』によると、上杉修理太夫朝興の家臣、宇田川和泉守の子、宇田川喜兵衛がこの地を開き名主となり、宇田川町となったとあります。また、『再訂江戸総鹿子新増大全』では、小田原北条氏の家臣、宇田川和泉守が天正18年(1590年)にこの地の名主となり、宇田川町となったとあります。

文政10年(1827年)の総家数387軒、うち家持5軒、家主28軒、地借70軒、店借284軒との記録が残っています。また文政7年(1824年)の『江戸買物独案内』には、おしろいや紅の問屋丁字屋、紙問屋で薬種商でもあった越前屋、釘・鉄・銅物などを扱う問屋の角屋、墨・筆・硯の摂津屋などがあり、この界隈は商店街として結構賑わっていたようです。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年6月11日 08:06に書いたブログ記事です。

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