東藝術倶楽部瓦版 20200618:【江戸の川その82】たくさんの支流を集めて形成-「渋谷川・古川」

おはようございます。昨日、一昨日と朝から急用が入ってしまい、瓦版をお送りできず恐縮でした。東京では新型コロナ感染者の確認者数が増えているにもかかわらず経済は動き始めており、判断基準が曖昧なままで都民は不安な日々を過ごしています。ウイルスは怖いが生活もしなければならない矛盾を抱えた現代人の悲壮な思いを感じざるを得ません。この世の中、根本が間違っているように思えます。

 

さて、本日は「渋谷川(しぶやがわ)・古川(ふるかわ)」について紹介しようと思います。現在の渋谷川及び古川は東京都渋谷区と港区を流れる川で、二級水系の古川水系の二級河川となっていて、上流部分が渋谷川、下流部分が古川と呼ばれています。




渋谷川の水源である東京都公共下水道の渋谷区宮益橋(渋谷駅南側)から港区の天現寺橋までの2.4キロメートルが渋谷川、天現寺橋から浜崎橋先の河口までの4.4キロメートルが古川とされています。流域面積は渋谷川部分が14平方キロメートル、古川部分が8.8平方キロメートルとなっています。古川部分は、江戸時代から昭和初期にかけては「新堀川(しんぼりがわ)」、「赤羽川(あかばねがわ)」、「金杉川(かなすぎがわ)」とも呼ばれていました。




渋谷川は、元々は明治以降に「穏田川(おんだがわ)」とも呼ばれる渋谷川の更なる上流部分も含んでいました。穏田川は現在の四谷四丁目交差点のやや西側にある新宿御苑東角辺りから玉川上水から分流する流れと、新宿御苑の西接していた天竜寺との間で同じく玉川上水から分流する流れが源頭となり、千駄ヶ谷町(新宿御苑南交差点付近)で合流して南流、原宿村、穏田村を貫き上渋谷村へと続き、現在の渋谷川につながっていました。

この渋谷川・古川には、多くの支流がありました。穏田川のほか、代々木村(渋谷区西原)を水源として「初台川」や「河滑川」などを合流して中渋谷村(渋谷駅北側)で合流する「宇田川(うだがわ)」、南青山から流れて天現寺橋付近で合流する「笄川(こうがいがわ)」、前回紹介した「桜川」などです。




下流の古川は、江戸幕府の都市計画の一環として、当時江戸湊の河口であった金杉橋から四ノ橋まで舟入工事が進められ、大名屋敷を中心とした市街地が形成されていました。川沿いには荷上場や河岸が多く建ち並び、特に一ノ橋より下流では舟運が盛んに行われていたようです。




渋谷川の名称の由来となる「渋谷」の語源については諸説あります。「渋」は渋谷川の鉄分を多く含む渋色(赤茶色)の水に由来し「谷」は地形に由来するという説、相模国の渋谷村を出自とする渋谷氏一族が周辺地域に居を構えていたとする説などです。かつて渋谷川は、そこで採取された蛍が徳川将軍に献上されるほどの清流で、当時は鮎の生息も確認されていたようです。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年6月18日 08:06に書いたブログ記事です。

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