東藝術倶楽部瓦版 20200622:【江戸の川その84】甲賀伊賀町がその名の由来?-「笄川」

おはようございます。昨日は夏至、1年で日が一番長い日に部分日食という天体現象が起きたわけですが、東京では厚い雲に覆われてみることができませんでした。暗雲が垂れ込む日本列島というわけなのかどうかは分かりませんが、今朝の東京も上空には厚い雲が見え、これから雨が降る天気予報となっています。「雨降って地固まる」日本になることを願うばかりです。

 

さて、本日は「笄川(こうがいがわ)」について紹介してみましょう。笄川は、東京都港区と渋谷区の境界付近を流れる古川水系の河川で、渋谷川の支流の一つです。

 

現在の南青山を外苑西通り沿いに流れる河川と、青山墓地の東側を流れる河川が西麻布で合流して南に流れ、天現寺橋で渋谷川に入り込むのがこの笄川です。現在は全面的に暗渠化されているのでその流れを見ることはできませんが、渋谷川と古川の境目となる笄川との合流地点でわずかにその姿を垣間見ることができます。笄川の水源は、昔は青山から麻布にかけて大小の水源が存在していたようですが、現在は根津美術館内の池と有栖川宮記念公園内の池のみが水源となっているようです。

 

笄川の「笄」とは、髪を掻き揚げて髷(まげ)を形作る装飾的な結髪用具のことです。天慶2年(939年)、平将門が起こした天慶の乱の際に、源経基(みなもとつねもと)が前司広雄(ぜんじひろお)によって設けられた関所を通過する際に、将門の味方と偽る証として笄を渡したとの故事から、その関所の場所を「笄橋」と名付けられたのが笄川の由来との説があります。この他にも、この辺り一帯が伊賀」や甲賀の忍者屋敷があったために、「甲賀伊賀町(こうがいがちょう)と呼ばれ、それが「(笄町)こうがいちょう」となり、そこを流れる川なので笄川となったという説もあります。

現在、笄町の名称は消え、笄川のほか、港区立笄小学校や笄坂などにその名称の名残をみせるだけになっています。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年6月22日 08:14に書いたブログ記事です。

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