東藝術倶楽部瓦版 20200629:【江戸の川その87】下北沢の開拓につながる「北沢川」

おはようございます。今朝は朝から日差しが強く感じますが、天気予報では気温は30℃までいかないようです。職場ではコロナ対策で時間短縮勤務が続き、座席も一席空け、会議室なども利用して密を避ける工夫をしています。東京でのコロナ感染の確認者が増加するなか、こうした措置も明日で終わり、7月1日からは通常出勤体制に戻ります。

 

さて、本日は前回紹介した目黒川の支流の一つである「北沢川(きたざわがわ)」について紹介しようと思います。北沢川は、かつては東京都世田谷区を流れる二級河川でしたが、現在は全面的に暗渠化され、下水道に転用されています。

 

水源は上北沢村(世田谷区上北沢の都立松沢病院付近)とされ、これに北方を流れる玉川上水からの分水を引き込んで南東に向かい、桜上水、豪徳寺、代田などを通って池尻大橋駅の西側で烏山川と合流し、目黒川になります。流路北側には「森巌寺川(しんがんじがわ)」や「だいだらぼっち川」などの支流がありましたが、いずれも今は暗渠となっています。

 

北沢川は、もともと流量の少ない河川でしたが、万治元年(1658年)に玉川上水からの分水である「北沢分水」を通じた通水が認められ、同上水から北沢川の水源地付近まで導水されるようになります。流量が増えた北沢川は、それ以降「北沢用水」として周辺の田畑を潤してきました。これにより、下北沢村の開拓も可能となったわけです。

昭和に入り、この地域も都市化の波が押し寄せるとともに水質が次第に悪化してきます。1970年代から80年代にかけてほぼ全域が暗渠化され、現在は「北沢幹線」と呼ばれる下水道として利用されています。平成になると、上流側の赤堤から下流部分の池尻までの約4.3キロメートルにわたって、暗渠の地上部分に「北沢川緑道」が設置されます。灌木や雑木類が植えられ、四季折々の花が咲く緑の遊歩道として親しまれています。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年6月29日 08:09に書いたブログ記事です。

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