東藝術倶楽部瓦版 20200706:【江戸の川その90】本当に存在していたのか?-「神奈川」

おはようございます。この週末の九州南部を襲った豪雨による球磨川の氾濫が熊本県に大きな被害をもたらしています。線状降水帯が次々に同地域を通過したのが原因で、この先も記録的な豪雨が鹿児島県など九州南部を襲うとのことで警戒が必要です。こうした河川の氾濫や土砂災害は、豪雨が続くことによって起きる自然災害と捉えがちですが、一方で人の手による開発が進むことで、土地の保水力が弱まることが原因の一つとも考えられています。こうした被害は日本全国どこでも起こり得るわけで、今こそ自然との共生を考える良い機会なのだと思います。

 

さて、本日は「神奈川(かながわ)」ついて紹介しようと思います。神奈川県の名称となっている神奈川の由来については諸説あります。神奈川県の説明によれば、「かながわ」の名は、昔は「神奈河」、「神名川」、「上無川」などとも書かれ、武蔵国久良岐郡(くらきぐん)〔横浜市神奈川区〕を指し、古くから陸上・海上交通の重要なところで、幕末の横浜開港に伴い、安政6年(1859年)に「神奈川奉行所」が置かれ、明治元年(1868年)9月に神奈川県が置かれることになったということです。

 

「かながわ」という地名が歴史上最初に文献に登場するのは鎌倉時代のことです。文永3年(1266年)5月2日の北条時宗下文に「鶴岡八幡宮領武蔵国稲目・神奈河両郷(かながわごう)」とあります。神奈河郷自体は武蔵国でしたが、鶴岡八幡宮は相模国鎌倉にあります。神奈河郷は今の横浜市神奈川区南部から西区北部の岡野・軽井沢・浅間町辺りまでで、ちょうど帷子川の北岸であったと考えられています。神奈河郷は、後に神奈川宿や神奈川湊となって賑わいをみせることになります。

神奈川の地名の由来については、当然「川」と密接な関係があるとされています。諸説あるなかで代表的なものを挙げると以下の通りになります。

 

〔金川〕

かつて帷子川は鉄分を多く含む土砂が流れていた。

 

〔上無川〕

水量が少なく水源地が定かではないために「上」が「無い」という意味の「かみなし川」が変化したもの。

 

〔空川、枯れ川〕

水量が少ない「空(から)の川」、或いは「枯れ川(かれかわ)」が変化したもの。

 

〔韓川〕

朝鮮半島から来た渡来人(韓人)が多く住んでいたという意味から「韓川(からかわ)」と呼ばれていた地名が変化したもの。

 

〔曲川〕

片平川が湾曲していた地の北岸に郷があったことから「曲がった川」という意味で「曲川(かながわ)」と呼ばれたというもの。

 

これらの説のうち、金川と曲川の説からすると、神奈川は帷子川のことを指していたことになります。一方、上無川、空川又は枯れ川の説では、水量が多く水源もはっきりしている帷子川では当てはまりません。一説に、現在の京急本線東神奈川駅の近くを流れていた長さ300メートルほどの小川がかつて流れており、これが神奈川と呼ばれていたとの話もあります。現在は道路になっているようですが、一度訪れてみたいと思っています。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年7月 6日 08:04に書いたブログ記事です。

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