東藝術倶楽部瓦版 20200708:【江戸の川その91】蒔田湾を埋め立て新田開発-「大岡川」

おはようございます。昨日は急用により瓦版を更新できず、失礼しました。時期が時期だけに、突然の休刊もあり得ること、ご了承ください。それにしても今回の九州をはじめとする豪雨による被害が止まるところを知りません。これまで江戸の川シリーズでもお伝えしてきたように、治水・利水は為政者によって最大の課題であり、水を治めた者が国をも治めると言っても過言ではありません。現代の科学技術を以てしても大きな災害を免れないのに、徳川幕府は専門家を利用し、様々な工夫をしてよく治めたものだと、今さらながら感心しています。

 

さて、本日は「大岡川(おおおかがわ)」について紹介したいと思います。大岡川は神奈川県横浜市を流れ、横浜港に注ぐ大岡川二級水系に属する二級河川です。以前、東藝術倶楽部の勉強会で花見のシーズンに川のぼりを楽しんだことがありましたね。

 

大岡川の源流は、横浜市磯子区の円海山周辺に広がる氷取沢町(ひとりざわちょう)の氷取沢市民の森に発し、上流域の名称を「笹下川(ささげがわ)」として北に流れます。その後、港南区港南中央通り付近で港南区南部を流れる「日野川(ひのがわ)」と合流して大岡川となり、南区を北東に流れて中区で横浜港に注ぎ込みます。総延長12キロメートルで、そのうち二級河川指定部分は約8.5キロメートルです。流域面積は35.6平方キロメートルです。

 

昔から、笹下川より蒔田湾にかけては水運が利用されており、室町時代に鶴岡八幡宮の戦い〔大永6年(1526年)〕で焼失した鶴岡八幡宮の再建に際し、木材がこのルートを利用して運ばれたとの記録が残っています。江戸時代に入り17世紀半ば頃から、現在の南区から中区にかけて「吉田新田」の開拓事業が行われ、当時、「蒔田湾(まきたわん)〔大岡湾〕」と呼ばれていた入江が埋め立てられました。大岡川本流と南端の「中村川(なかむらがわ)」及びその間に数本の河川が残されました。横浜港開港後には、それら数本の河川は埋め立てられ、跡地には公園や首都高速道路として利用されています。

勉強会でも使われたように大岡川沿岸では桜並木が有名ですが、かつては小田原北条家が梅の植林を奨励しており、笹下城址などには広大な梅林が広がっていました。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年7月 8日 09:42に書いたブログ記事です。

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