東藝術倶楽部瓦版 20200709:【江戸の川その92】新田開発で作られた人工の「中村川」

おはようございます。今年の大雨は異常に長く続いています。九州ばかりではなく、岐阜や長野の一部にまで大きな被害をもたらしています。コロナウイルスの感染対策で非難する人たちの負担も増すばかりです。行政の資質が問われるところですが、想定外という言い訳を理由に手も足も出ない達磨状態です。明日は所用により、瓦版はお休みします。ご了承ください。

 

さて、長きに亘って紹介してきた「江戸の川シリーズ」でしたが、今回で川の話も最後にしようと思います。本日は「中村川(なかむらがわ)」について紹介したいと思います。中村川は、前回紹介した「大岡川」の支流で、大岡川二級水系に属する二級河川です。流域は神奈川県横浜市で東京湾に注いでいます。

 

横浜市南区の蒔田公園の脇辺りで大岡川から分流した中村川は、中村町付近の池下橋で根岸湾に流れる「堀割川(ほりわりがわ)」が分流します。中村川本流は山手地区の北側を流れて山下公園脇の山下橋で東京湾に注ぎ込みます。西の橋付近から下流の元町と山下町の間は「堀川(ほりかわ)」とも呼ばれています。現在、中村川の上には首都高速神奈川3号狩場線が走っていて、周辺には横浜中華街、山下公園や港の見える丘公園などの名所があり賑わっています。

 

中村川と大岡川本流に挟まれた低地が江戸時代初期まで釣り鐘状の入り江になっていたことは前回説明した通りで、「洲干湊(しゅうかんみなと)」と呼ばれていました。寛文7年(1667年)にそこが埋め立てられて「吉田新田」となったことも前回紹介した通りです。

 

その吉田新田に両側から水を引けるように大岡川から分流させて、新田の南端に人工的に作られたのが中村川です。下流部分の堀川とつながって今の形を形成しています。堀川も万延元年(1860年)に外国人居留地と日本人町との間に関門を作るために掘られた人工の河川です。新田内ではいくつかの河川とつながっていましたが、明治以降そのほとんどが埋め立てられ中村川だけが残っています。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年7月 9日 08:13に書いたブログ記事です。

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