おはようございます。突然の安倍総理の辞任の発表に揺れ、次の総理、総裁選びに火花が散る自民党内の駆け引きですが、それぞれの派閥の思惑が見え隠れしています。こういう人たちが日本の舵取りをしているのかと思うと不安に駆られるのは、私だけでしょうか。
さて、本日は深川の名所の一つ「富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)」について紹介しようと思います。富岡八幡宮は東京都江東区富岡にある八幡神社で、この地域が深川地域に属していることから通称「深川八幡宮(ふかがわはちまんぐう)」ともいわれています。
主祭神は「品陀和気命(ほむだわけのみこと)」、すなわち「八幡神(やはたのかみ/はちまんしん)」とされる「応神天皇(おうじんてんのう)」です。そのほかに相殿神として「神功皇后(じんぐうこうごう)」、「仁徳天皇(にんとくてんのう)」、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」、「常磐社神(ときわのやしろのかみ)」、「武内宿禰命(たけしうちのすくね/たけうちのすくね/たけのうちのすくね)」、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、「天児屋根命(あまのこやねのみこと)」、「竈大神(かまどのおおかみ)」の八柱が祀られています。八幡神は、古くから武運の神として全国の武家から尊崇された日本固有の祭神で、実在性のない応神天皇が神格化されたものです。
富岡八幡宮の創建は、寛永4年(1627年)に菅原道真公の末裔といわれる長盛法印(ちょうせいほういん)という僧が神託により建てたのが始まりで、当時この辺りは永代島とよばれる砂州に浮かぶ小島でした。このため、当時は「永代嶋八幡神」と呼ばれており、その後砂州を埋め立てることで60,508坪の社有地を得ることができたとのことです。徳川将軍家は武家の棟梁ということもあり、八幡神を厚く尊崇し富岡八幡宮を保護するとともに、江戸庶民からも「深川の八幡様」として親しまれていたそうです。
富岡八幡宮は江戸最大の八幡宮とされ、毎年8月に行われる祭礼「深川八幡祭り」は江戸三大祭りの一つです。毎月1日、15日、28日は月次祭が行われ縁日として大変な賑わいをみせているそうです。また、江戸勧進相撲発祥の神社ということで、境内には「横綱力士碑」をはじめとした大相撲ゆかりの石碑が多数建てられています。
当時、富岡八幡宮の周囲には今の門前仲町にあたる門前町が形成され、開拓地が沖合に延長されるに従い、商業地としての賑わいをみせるようになりました。長盛法印は、このほかにも寛永元年(1624年)に「永代寺」を建立しています。こちらは富岡八幡宮の別当寺として栄えましたが、明治維新の神仏分離により廃寺となります。現在の永代寺は明治29年(1896年)に旧永代寺の塔頭(たっちゅう)であった吉祥院がその名前を引き継いだものだそうです。
明治維新後、富岡八幡宮は准勅祭社の社格を得ますが、この制度の廃止後は記載のない府社として皇室の尊崇を受け続けました。昭和20年(1945年)の東京大空襲で社殿は焼失した後、昭和31年(1956年)に現在の社殿が造営されています。この富岡八幡宮ですが、平成29年(2017年)に宮司とその運転手が、先代の宮司とその妻に日本刀で切り付けられ、宮司が殺害され、運転手が重傷となった事件は記憶に新しいところです。聖職にある人でも、一歩間違えば残忍な事件を起こすこともあるこの世の恐ろしさを垣間見た事件でした。
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