おはようございます。コロナ禍の中、インターネットによる電子商取引(EC)などデジタル経済の重要性が高まってきています。目に見えないバーチャル空間での取引ですから、実際に何が行われいるのかが分からないままに物事が進む恐ろしさがあります。今回、ドコモ口座で1,000万円ほどの不正引き出しによる被害が確認されていますが、新たな技術が生まれるたびにセキュリティについての対策が必要となります。人間性の向上なくして技術だけが発展する世界に付きまとう弊害です。
さて、本日は「木場(きば)」について紹介したいと思います。木場は、東京都江東区にあり、現在は木場一丁目から六丁目がその町名となっています。深川地域に属しており、北は仙台堀川で深川、平野と接し、東は東陽、南は汐浜運河で塩浜と、更に西は平久川で冬木、富岡、牡丹、古石場と接しています。
木場とは、貯木場(木置場)や木材の切り出し場のことで、これに由来する地名は日本各地にあります。木材の運搬が便利なように、海や川沿いに面しています。深川の木場もこれに由来する地名です。原木はそのまま置いておくと、乾燥によるひび割れや虫食いが生じます。そのため水につけた状態での保存が基本です。木材の保存には海水と淡水が混じった「汽水」の状態が適しているとのことです。木置場では、「筏師(いかだし)〔川並(かわなみ)〕」と呼ばれる職人が活躍していました。
天正18年(1590年)に徳川家康が江戸入府と同時に江戸城修築と江戸の都市開発が始まります。その際、大量の木材需要が生まれるわけですが、そのため木材の流通に携わる商人が江戸に集まり、木材の売買が行われました。江戸の初期の木置場は神田、道三堀など日比谷入江にありましたが、入江の埋め立てが進むと、木置場も三十間堀、茅場町辺りに移ります。
寛永18年(1641年)に京橋から出火した江戸の大火で江戸市中に点在していた木置場が大きな被害を受けます。この時の火事の延焼の原因が点在する木材商の「高積み」が原因とされ、木材商は深川漁師町の入り江である永代島(元木場)に集められました。この場所は隅田川東岸で大火の影響を受けにくく、江戸市中から比較的離れていることから、火事の際にも木材への延焼を防ぐことができました。
更に明暦3年(1657年)の明暦の大火を契機に開かれた水路による水運を活かし、元禄16年(1703年)に「木場深川町」が誕生しました。江戸幕府が元木場の干拓事業を行うためにその地を召し上げてしまったために、当時造形されたばかりの「築地町」が代替地として選ばれたのが深川木場町となり、現在の木場に繋がっています。
安政2年(1855年)の大地震では、本所・深川も甚大な被害を受けました。震災後の復興には町民が助け合い、中でも地元への社会奉仕「施行」として材木商仲間が多額の寄付を行ったそうです。木場の木置場は昭和50年(1975年)頃までは利用されていたましたが、東京湾の埋め立てが進み、新木場へと更に移転し、現在に至っています。新木場へと移転した材木関連企業の跡地は、現在は木場公園となっています。
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