東藝術倶楽部瓦版 20201006:【江戸の町その25】東の宰府天満宮-「亀戸天神社」(上)

おはようございます。朝晩はすっかりと秋らしくなってきました。暑がりの私はいまだに半そでのワイシャツで出勤していますが、それでも大分過ごしやすくなりました。明後日10月8日が二十四節気の一つの寒露です。コロナ騒ぎがなければ、大江戸散歩にも行きたいところですが、さてこの騒ぎもいつどうなるのでしょうか。

 

さて、本日は「亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)」について紹介しようと思います。亀戸天神社は、その名の通り東京都江東区亀戸にある神社で、学問の神として親しまれている菅原道真を祀る天満宮です。通称として「亀戸天神」、「亀戸天満宮」、「東宰府天満宮(あずまのざいふてんまんぐう)」とも呼ばれています。主祭神は天満大神(菅原道真)のほかに、菅原家の祖神である「天菩日命(あめのひほのみこと)」です。

 

江戸時代初期の正保年間(1644年~1647年)、天神信仰を広めるために諸国を巡り歩いていた九州筑紫国・大宰府天満宮の神官・菅原大鳥居信祐(すがわらのおおとりいしんゆう)は、寛文元年(1661年)に江戸の亀戸村にたどりつきます。この信祐という神官は、菅原道真の末裔とされています。亀戸村にはもともと天神の小祠があり、ここに道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが、亀戸天神社の始まりと言われています。

明暦の大火後に新たな復興・開発の地域として定められた本所に、四代将軍・徳川家綱は鎮守神を祀るようにと現在の亀戸天神社の地に社地を寄進しました。そして、寛文2年(1662年)に太宰府天満宮に倣い亀戸天神社が造営されました。地形のほか、社殿、楼門、回廊、心字池、太鼓橋など大宰府天満宮に似せており、本殿の扁額は、本社大宰府天満宮の宮司であった西高辻信貞(にしたかつじのぶさだ)による揮毫だそうです。

 

古くは、総本社である大宰府天満宮に対して、東の宰府として「東宰府天満宮」、或いは「亀戸宰府天満宮」、「本所宰府天満宮」と呼ばれていましたが、明治6年(1873年)に社府となり「亀戸神社」と改名し、その後昭和11年(1936年)に現在の亀戸天神社となりました。

 

毎年1~2月の受験シーズンには、道真の加護を求めて絵馬を奉納する受験生で溢れ返るほか、大晦日の晩には多くの初詣の参拝客で賑わいます。

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このページは、システム管理者が2020年10月 6日 09:49に書いたブログ記事です。

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