東藝術倶楽部瓦版 20201019:【江戸の町その28】清和源氏所縁の「牛嶋神社」

おはようございます。最近は仕事が何かと忙しく、なかなか瓦版の更新ができず恐縮です。皆さんにお伝えしたい江戸の話題はたくさんあるのですが、最近はコロナの関係もあり、外出もままならず、文献や資料に基づく話題の提供になってしまい、あまり現実味がないような気もしています。この週末、黒木代表からお電話いただき久しぶりの会話を楽しみつつ、中国にも行けず制限のある中で日中経済交流・調査事業を細々と続けている実態をお伝えしました。とはいえ、忙しい現実に変わりはありません。

 

さて、本日は東京都墨田区本所にある「牛嶋神社(うしじまじんじゃ)」について紹介してみたいと思います。牛嶋神社の社格は郷社で、旧くは「牛の御前(うしのごぜん)社」と呼ばれ、江戸時代以降は本所一帯の総鎮守として崇敬されています。

 

御祭神は「須佐之男命(すさのおのみこと)」、「天之穂日命(あめのほひのみこと)」、「貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)」の3柱です。貞観2年(860年)に第三代天台座主の慈覚大師(じかくだいし)〔円仁(えんにん)〕の御神託により創建されたとされ、最初に須佐之男命、次に天之穂日命が祀られ、最後にこの地で亡くなった清和天皇の第七皇子・貞辰親王命が祀られました。

 

治承4年(1180年)、源頼朝が大軍を率いて下総国から武蔵国に渡ろうとした際に、豪雨による洪水で渡ることができず、千葉介平常胤(ちばのすけたいらのつねたね)がここに祈願したところ、全軍が無事に渡ることができたことから、頼朝はその神徳を尊信し、翌養和元年(1181年)に社殿を造営し、多くの神領を寄進させたと伝えられています。清和源氏所縁の神社です。

牛の御前社の勅号が賜れたのは天文7年(1538年)のことで、賜ったのは御奈良院(御奈良天皇)です。江戸時代に入ると、江戸の鬼門守護の神社として将軍家の崇敬も厚く、特に三代将軍・徳川家光は本所石原新町の土地を寄進して、祭礼神輿渡御の旅所として、この地に仮宮を建てました。現在の摂社若宮はその一部です。

 

鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』によると、建長3年(1251年)に、浅草寺に牛のような妖怪が出現し、食堂にいた僧侶24人が悪鬼を受けて病に侵され7人が亡くなりました。この妖怪は、隅田川から現れた「牛鬼(ぎゅうき)」という妖怪で、牛鬼は浅草の対岸にある牛嶋神社に飛び込み、「牛玉」という玉を残します。これ以降、牛鬼は神として祀られ、牛玉は神社の社宝となったということです。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://azuma-geijutsu.com/mt/mt-tb.cgi/430

コメントする

2021年1月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

このブログ記事について

このページは、システム管理者が2020年10月19日 08:17に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「東藝術倶楽部瓦版 20201012:【江戸の町その27】梅と牛に縁のある道真公-「亀戸天神社」(下)」です。

次のブログ記事は「東藝術倶楽部瓦版 20201022:【江戸の町その29】眼病治癒の観世音-「龍眼寺」」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

ウェブページ