東藝術倶楽部瓦版 20201026:【江戸の町その30】北斎ゆかりの開運の寺-「法性寺」

おはようございます。最近、テレビのワイドショーでも取り上げられることが減った新型コロナウイルスの話題ですが、欧州では再び猛威を振るい続けています。フランスでは何と1日の新規感染者が5万人を超え、スペインでは全土で再び緊急事態が宣言されています。東京でも収束する気配がなく、すでに累計の感染者確認者は3万人を超えました。日中間では条件付きでビジネスに限り短期往来が可能になるよう調整が行われており、業務再開は望まれるものの、科学的根拠を蔑ろにした政治的思惑で進められることに危機感を覚えざるを得ません。

 

さて、本日は「法性寺(ほっしょうじ)」を紹介しましょう。法性寺は東京都墨田区業平にある日蓮宗の寺院です。山号は「柳嶋妙見山(やなぎしまみょうけんさん)」で、旧本山は大田区池上にある大本山池上本門寺です。日蓮宗の僧侶の学問所である飯高檀林根下谷(いいだかだんりんねごやさく)から発生した法縁で、柳嶋法縁・縁頭寺となっています。院号は「玄和院(げんわいん)」で、「柳嶋妙見堂」とも呼ばれています。

 

明応元年(1492年)に法性房日遄(ほっしょうぼうにっせん)上人によって開山された寺院で、久遠実成(くおんじつじょう)本師釈迦牟尼仏の大曼荼羅を本尊としています。500年以上の歴史を持つこの寺院は、「柳嶋の妙見さま」として地元の人々に慕われています。

 

浮世絵師の葛飾北斎は、葛飾の本所の生まれであったことから「葛飾」を名乗っていたことはご存知の通りです。法性寺の妙見堂では、開運北辰妙見大菩薩を祀っており、北斎が「北斎辰政(ほくさいときまさ)」と一時期名乗ったのは、この大菩薩を信仰していたからだとも言われています。北斎は、妙見堂の師匠に破門され、生活に窮したために一時筆を折ろうとまでしたそうですが、試しに妙見堂にお祈りをしてみたのでしょう。21日間のお参りの満願の帰り道で落雷に遭って気を失いました。それから運が開けたのか、絵が売れ出して有名になり、多くの作品を手掛けるようになりました。

本堂には北斎の碑や近松門左衛門の供養碑、初代歌川豊国の筆塚なども文化財として残っています。

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このページは、システム管理者が2020年10月26日 18:20に書いたブログ記事です。

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