東藝術倶楽部瓦版 20201106:【江戸の町その35】遊ふ田地や、田を見めぐりの神ならば-「三囲神社」

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さて、本日は「三囲神社(みめぐりじんじゃ)」について紹介していきたいと思います。三囲神社は東京都墨田区向島にある神社で、祭神は「宇迦之御魂命(うがのみたまのみこと)〔倉稲魂命(うかのみたまのみこと)〕」です。宇迦之御魂命は穀物の神であり、伏見稲荷大社の主祭神、すなわち「稲荷神(お稲荷さん)」として親しまれています。もともとは水田に囲まれていた場所にあったことから「田中稲荷」と呼ばれていたそうです。

 

三囲神社の創建年代は不詳ですが、一説には弘法大師の勧請によるものと言われ、また次のような言い伝えがあります。文和年間(1353年~1355年)に近江国の三井寺の僧・源慶が東国を遍歴していた際にこの社を改築し、その時に土中から白狐に跨り右手に宝珠、左手に稲を持った老翁の像が出土しました。するとどこからともなく白狐が現れて、その神像を三度回り消え去りました。三囲神社の名称はこの言い伝えによるということです。

 

南北朝から江戸時代にかけて戦乱や隅田川の氾濫・築堤などにより何度かの遷座を経て現在の場所に鎮座するようになりました。元禄6年(1693年)の旱魃の時に、近隣の農民が三囲神社に雨ごい祈願を行っていたところに、松尾芭蕉の高弟・宝井其角が門人の白雲を伴い参拝に訪れます。その際、其角は「遊ふ田地や、田を見めぐりの神ならば」という俳句を詠みました。するとその翌日には雨が降り、三囲神社の霊験と其角の名が江戸中に広まったと言われています。この俳句には、「遊ふ田地(ゆふたち)」を「夕立(ゆうだち)」、「見めぐり」を「三囲」という言葉がかけられており、請雨と豊作の願いが込められています。

寛文12年(1673年)、伊勢の商人・三井高利が日本橋に呉服店「越後屋」を開業します。後の三越百貨店です。この三井家が同家の守護神として三囲神社を篤く信仰を寄せていることは、よく知られています。その理由というのが、第一に三囲神社の方角が日本橋の東北側、すなわち鬼門にあたることから厄除けの神としたこと、第二に「囲」の字が「井」を囲んでいるから「三井を護る」という意味に解釈されたからです。このことから、三井家は社地の拡張や社殿の造営に多くの支援を行ってきており、現在でも三井グループの篤い崇敬を受けています。

 

また、三囲神社は隅田川七福神の大国神、恵比寿神ともされています。これもまた越後屋に祀られていたものを三囲神社に遷したものと言われています。

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このページは、システム管理者が2020年11月 6日 08:08に書いたブログ記事です。

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