新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。年始年末は、皆さんはどのように過ごされたのでしょうか。日本では新型コロナウイルスの新規感染者の増加しており、首都圏の1都3県には今週にも緊急事態宣言が発せられるようです。コロナで始まりコロナで終わった昨年でしたが、今年もまたコロナに翻弄される1年となるのでしょうか。我が職場もどのような措置がとられるのかはまだ分かりませんが、いずれせよ不自由な日々がまだ続きそうです。マスク着用による過呼吸には十分ご注意ください。
さて、本日は前回説明した穴八幡宮の別当寺として建てられた「放生寺(ほうしょうじ)」について紹介しましょう。放生寺は東京都新宿区西早稲田にある高野山真言宗の寺院で、山号は光松院、院号は威盛院と称し、聖観世音菩薩(融通虫封観世音菩薩)を本尊としています。寺格は準別格本山とされ、正式名称は「光松山威盛院放生會寺」となっています。江戸三十三箇所15番、御内府八十八箇所30番の札所にもなっています。
別当寺とは、江戸時代以前は神仏習合が当たり前のように行われており、神社を管理するための寺院を置くことがよくありました。神宮寺の一つとして神社の境内に建立され、神社管理のほか供奉僧(ぐぶそう)が祭祀・読経・加持祈祷を行う場所としても利用されていました。
放生寺が創建されたのは寛永18年(1641年)で、権大僧都法印威盛院・良昌上人(りょうしょうしょうにん)によって開創されました。寺号が示すように放生会(ほうじょうえ)を行うことで知られています。放生会とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放ち、殺生を戒める宗教儀式のことを指します。
穴八幡宮と同様に徳川将軍家より厚く保護され、慶安2年(1649年)に三代将軍・家光が参拝した際に「光松山威盛院放生會寺」の寺号が賜れ、徳川家代々の祈願所として「葵のご紋」を寺紋に用いることが許されたそうです。本尊の聖観世音菩薩像は虫封じに霊験があるとして、江戸時代より多くの尊信を集め親しまれてきています。
放生寺では、穴八幡宮で授与される「一陽来復御守」をもじって「一陽来福」のお札を授与しています。
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