東藝術倶楽部瓦版 20200123:【江戸の川その35】献上鮎が暮らしを支えた「相模川」

おはようございます。新型コロナウイルスの感染による肺炎患者が、中国で一気に増加し始めてしまいました。湖北省武漢市のみならず、北京や広東省深圳のほか、マカオ・米国・タイなど海外でもなど患者が見付かっており、患者数はすでに500名を超え、これによる死者も17名に達しました。湖北省武漢市では公共交通機関が本日の現地時間午前10時より遮断され、市外への移動を自粛するよう勧告が出ています。日本の報道では、中国政府の対応が後手に回っているとのコメントですが、今回は中国の情報開示も比較的早く、実態を把握するまでの時間も決して遅かったとは思えません。新たなウイルスなどの病原体の特定には、それなりの時間がかかるのは当たり前で、日本で同じことが起きた場合にどれだけ迅速な対応ができるかは、その時になってみないと分からないものです。結果論で人を批判するのは勝手ですが、先ずは自分が他の立場になって考えてみることが大事です。

 

さて、本日は「相模川(さがみがわ)」について紹介しようと思います。今回の「江戸の川」シリーズは、基本的に江戸近郊に関わる河川を中心に紹介しているので、どこまでの河川を対象とするか悩むところですが、西側はこの相模川辺りまでが適当なのではないかと思い、今回取り上げてみることとしました。

 

相模川は、山梨県と神奈川県を流れる相模川一級水系の本流で、一級河川となっています。総延長は109キロメートル、流域面積は1,680平方キロメートルで、山梨県の富士五湖の一つである山中湖を水源とし、富士山麓の湧水を集めながら北西に流れ、富士吉田市で北東に折れます。都留市から大月市までそのまま流れ、そこで東側に流路を変えます。その後、上野原市で神奈川県相模原市に入り、相模湖と津久井湖の二つのダム湖を経て緩やかに進路を南に変えて、厚木市から南にまっすぐ南下し、平塚市と茅ケ崎市の境付近で相模湾に流れ込みます。厚木市からは丹沢山地と相模原台地の間に相模平野を形成する形になっています。

 

相模川の主な支流は、丹沢山地から流れ込む道志川(どうしがわ)、中津川(なかつがわ)です。大月市では笹子川を合流し、道志川は相模湖下流で流れを合わせます。さらにその下流の厚木市では中津川が合流します。

一般に上流の山梨県では「桂川(かつらがわ)」と呼ばれ、神奈川県に入って相模川、さらに河口付近では「馬入川(ばにゅうがわ)」と呼ばれています。桂川の名称は、源流の一つとなっている石割山にある石割神社の神木「桂」の巨木に由来し、相模川はその名の通り相模国に由来しています。また馬入川は、鎌倉時代に相模川を渡る「相模川橋」が架けられた際に、落成供養に臨んだ源頼朝が馬から落ちたという言い伝えに因むものだと言われています。

 

相模川は古くは「鮎川(あゆかわ)」と呼ばれたように、鮎がたくさん獲れ、鮎漁が川沿いの人々の暮らしを支えていました。江戸時代には相模川産の鮎が将軍家へ供される「献上鮎」とされていました。また、江戸時代には河川舟運が盛んで、上流からは年貢米や木材、下流からは海産物や雑貨などが運ばれていました。現在では生活や工業のほか、発電など多目的に利用されています。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年1月23日 08:05に書いたブログ記事です。

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