東藝術倶楽部瓦版 20190116:江戸の主な大火-「元禄の大火」

 

おはようございます。日本をとりまく国際情勢が厳しさを増しています。今、日本にとって喫緊の課題は韓国との関係改善でしょうか。慰安婦問題に始まり、最近では日本企業に対する徴用工訴訟と、半世紀以上前の太平洋戦争中の問題がここにきて噴出しているのです。過去、こうした問題にかかわってきた当事者はそのほとんどがいなくなり、真相が分からないまま長い歴史の片隅に埋もれてしまうことは避けたいのですが、今この問題を掘り返して補償を求めることにどれだけの意義があるのでしょうか? 新たな紛争を巻き起こすのではなく、二度と同じ過ちを繰り返さないよう真実を明らかにして、恒久的な解決策を求めるべきではないかと思う次第です。

 

さて、本日は「元禄の大火」について紹介したいと思います。元禄の大火とは、元禄年間(1688年~1704年)の後半に江戸で発生した3回の大きな火災の総称です。

 

最初の火災は、元禄101017日(16971130日)の昼、大塚(現在の東京文京区)にある善心寺(ぜんしんじ)が火元となった火事です。善心寺から発生した火は、当初は西風、後に北西の風に煽られて、小日向(こひなた、文京区)から旗本・御家人屋敷や大縄地(おおなわち:職務上、同じ組に属する複数の下級武士がまとまって与えられた屋敷地)が多かった築土(つくど、新宿区)、牛込(新宿区)、飯田町(千代田区)、麹町(千代田区)、番町(千代田区)、代官町(千代田区)まで焼きつくしました。これにより、類焼した旗本屋敷は363棟に上ったといわれています。

 

第二の火災は、翌元禄11年9月6日(169810月9日)未明に、京橋南鍋町(現在の東京中央区)から出火した火事です。この年の8月に上野寛永寺の根本中堂、文殊楼、仁王門が落成し、9月3日に落慶法要が執り行われました。その際、東山天皇に願っていた勅額(ちょくがく)が9月6日に京都から到着します。勅額は根本中堂に掲げられることになっていました。この勅額到着のタイミングに発生した火事であることから、「勅額火事」、あるいは「中堂火事」とも呼ばれています。

 

この火事は、京橋南鍋町の木戸から北八軒目にある仕立物屋・九右衛門宅より出火し、折からの南風に煽られて日蔭町(港区)、数寄屋橋門内(中央区)に延焼して多くの大名屋敷・旗本屋敷を焼きつくし、神田橋(千代田区)の外側に延焼していきます。火はさらに駿河台(千代田区)、下谷(台東区)、神田明神下(千代田区)、湯島天神下(文京区)へと流れ、下谷池之端から浅草(台東区)へと拡大します。寛永寺境内にも火の手が廻り、本殿や新築したばかりの仁王門、厳有院廟を焼いて、三ノ輪か(台東区)ら千住(足立区)にまで及び、そして日本橋方面の火は両国橋を焼き落として本所(墨田区)まで広がる大火事になりました。

 

この火事による死者は3,000人以上、大名屋敷83、旗本屋敷225、寺院232、町屋1万8,703戸、326町が焼失したとされています。旗本の吉良義央はこの火事で自宅を失い本所に転居し、後にそこで赤穂浪士の討ち入りに遭って命を落とすことになります。

 

そして第三の火災が「水戸様火事」と呼ばれる火事で、元禄161129日(1704年1月6日)に小石川・水戸藩徳川家上屋敷を火元とするものです。元禄161123日に、元禄地震が江戸を襲いました。その余震が連日続き、1129日戌の刻(午後7時頃)に大きな余震があり、その頃に水戸藩上屋敷から出火したとされています。

 

強い南西風に煽られて火は東側に進み湯島聖堂や神田明神を焼き、本郷の加賀藩前田家上屋敷から駒込(豊島区)まで延焼します。ここで風向きが北西に変わり、猛火は進路を変えて不忍池の周りにある寺院を燃やし、谷中から上野(いずれも台東区)寛永寺、池之端から湯島天神にも火が迫り、さらに秋葉原や御徒町一帯を火の海にしたとされています。亥の刻(午後10時頃)から季節風がさらに強くなり、浅草橋、両国橋を焼き落し、火は隅田川を越えて本所(墨田区)・深川(江東区)へと広がり、回向院や霊厳寺などの寺院も灰になったといわれています。この火事が鎮火したのは翌12月1日の早朝でした。

 

この火事によって、武家屋敷275、寺院75、町屋2万戸が焼失したとされています。この火災の間にも5~6回の地震があり、「地震火事」と呼ぶ人もいました。水戸様火事は、地震と火事の複合災害だったともいえるでしょう。

 

高見澤

 

2021年1月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

このブログ記事について

このページは、東藝術倶楽部広報が2019年1月16日 09:51に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「東藝術倶楽部瓦版 20190115:江戸の主な大火-天和から元禄にかけての大火」です。

次のブログ記事は「藝術倶楽部瓦版 20190117:江戸の主な大火-「元禄の大火」以外の元禄の大火」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

ウェブページ