2016年5月アーカイブ

 

おはようございます。昨日降っていた雨も止み、薄曇りの朝を迎えた東京ですが、どことなく街全体に活気が感じられません。日本全体がどこかおかしな方向に向かっているような気がしてなりません。最近の地震や火山の噴火が続いていることと関係しているのかもしれません。

 

さて、まだまだ続く中国の水に関するお話ですが、本日は北京の観光名所の一つである北海公園に秘められた高度な排水システムについてご紹介したいと思います。

北海公園は北京の中心にある紫禁城(故宮博物院)の北西に隣接する公園です。その南側には中国共産党や中国政府の指導者層が住む中南海があります。北海という池を中心とした公園になっており、市民の憩いの場にもなっています。

 

従来、あまり雨の降らなかった北京ですが、ここ最近はスコールのような大雨に見舞われることが多くなりました。それでも東京に比べればまだ降水量は少ないのですが、短時間に大量に降るケースも見られます。

私が北京に駐在したばかりの2012年7月には、1951年の観測以来最大の豪雨に見舞われ、十数時間の降水量は北京市全体で170ミリ、都心部では210ミリを超え、房山などの郊外の山間部では460ミリに達したところもあり、総面積の9割近くが浸水の被害に遭ったとのことです。私も東京本部から出張で北京に来ていた役員を市内から空港まで見送った際に、空港では掲示板の国内線フライトが突然すべて"delay"の表示に変わり、市内に帰る高速道路がまるで川のように水浸しになっていたことを覚えています。

 

このようなときにでさえ、まったくと言っていいほど浸水の被害がなかった場所があるというのですから驚きです。それが先に紹介した北海公園内の「団城」と呼ばれるところです。

団城は、北海公園の南門の西側にある長円形の丘を囲んだ小さな要塞です。煉瓦の城壁に囲まれ、城壁は高さ4.6メートル、長さ276メートルで、団城の面積は4,500平方メートルです。

 

紫禁城や天壇公園など北京の名だたる古い建築物にはいずれも排水口が設置されていますが、この団城の外壁には排水口はなく、地面にも排水溝が身当りません。それなのに、先ほどご紹介した豪雨の際には地面が少し濡れただけだったのです。

 

この団城が造られたのは今から600年ほど前の明の時代です。さて、如何なる仕掛けでこのような奇跡が起きたのでしょうか? この続きは次回のお楽しみにしたいと思います。

 

(本稿は雑誌『日中経協ジャーナル』201211月号「現地便り」に掲載された記事をリメイクしたものです。)

 

高見澤

 

おはようございます。今朝の東京都心は割と大粒の雨が降っています。部屋の中にいても、雨脚の音が聞こえてきます。

先週木曜日と金曜日は朝から外部機関への立ち寄りで時間がなかったものですから、勝手ながら瓦版をお休み致しました。ご理解の程、よろしくお願い致します。

 

さて、前回ご紹介いたしました「霊渠」ですが、その技術的な高さの一端を解説したいと思います。

霊渠には河の水の分流させる「犂の口(鋤嘴)」、河の水量と水位を調節する「大天秤」及び「小天秤」と「泄水天秤」、「南渠」と「北渠」の二本に分かれた運河、「水門(陡門)」などの施設があります。

 

「犂の口」は長方形の石を犂の刃のように鋭く積み上げられた形をしており、湘江の水を南北二つの運河に分流させます。「犂の口」は分流のほか、「大天秤」と「小天秤」を洪水から守る役割も果たしています。

分流された水は「大天秤」と「小天秤」で水量と水位が調整されます。ともに「人」字型の構造をしており、南北両側の運河とつながっていて、「犂の口」とこの二つの「天秤」によって、湘江の水の3割を南渠から漓江に流し、7割を北渠から湘江へ再び戻すように設計されています。

 

北側の「大天秤」の長さは344メートル、南側の「小天秤」は130メートルで、高さはそれぞれ2~2.4メートル、幅は1723メートルです。両「天秤」の基礎は水に強いとされる松の木が使われており、その上に長方形の石がぎっしりと敷き詰められ、その石の表面の溝にそって溶かされた銑鉄が注がれ丈夫な鉄の網のようになっていて、それでしっかりと固定されています。

両「天秤」ともに内堤と外堤からなっていて、内堤の勾配が外堤より高くなっています。湘江から流れてくる水を堰き止め、両岸に接続する運河に水が流れる仕組みなので、常に船の運航が可能な水位(平時の推進は約1.5メートル)が確保され、水量が多くなると余分な水が両「天秤」を超えて元々の湘江に流れ込むようになっています。

「泄水天秤」は南北二つの運河にあり、大小両「天秤」を補完する役割を果たします。

 

「水門」は南北二つの運河に設置され、水門の開閉により水位を調整して船を通航させる役割を担っています。水位が低く、流れが速い場所に造られ、最も多いときには36カ所もあったとのことです。

 

今から2200年も前のこうした土木技術の水準の高さには、驚かされるばかりです。

 

高見澤

 

おはようございます。

月曜日に暑さのピークを迎えましたが、昨日から今日にかけては気温が下がり、比較的過ごしやすくなっている東京です。湿度が上がってきているのが感じられますので、気温の上がり方次第では、蒸し暑くなる日があるかもしれません。

 

ところで、昨日のメルマガでの西門豹のお話ですが、結果的に何が言いたかったのか、お分かりになる方も少なくはないと思います。後になってから、気付いたという経験もあるかと思います。本当にこの世界はよくできているものだと感心させられます。

 

さて、皆さんは「秦の始皇帝」という人物はご存知かと思います。私は会ったことはありませんが(当たり前ですよね、紀元前3世紀の人ですから...(^_^;))、仕事柄それなりに研究したことはあります。その秦の始皇帝の時代に造られた運河が残っており、今でも立派に機能していると知ったら驚きませんか?

 

場所は広西チワン族自治区(「自治区」は「直轄市」や「省」中国の一番大きな行政単位の一つで、少数民族が多く住んでいる地域)の桂林(水墨画の風景で有名な景勝地)市興安県にあります。その運河は「霊渠」と呼ばれ、世界最古の運河の一つであり、中国の全国重点文物保護単位となっています。

全長33.1キロメートル、長江の支流である湘江と水墨画の風景で有名な漓江(珠江水系最大の支流である西江の支流)を結んでいます。全36カ所の水門で水位を調節する高度な技術が施されており、海抜が一番高い入口は212.1メートル、一番低い出口は181.8メートルで高低差は30.3メートル、平均傾斜角度は1.09度ですから、流れとしては比較的ゆっくりです。私も大分前になりますが、この霊渠を訪れたことがあり、その時にガイドから分水の仕組みや建設技術などを説明してもらいました(大分忘れていますが...)。

 

紀元前221年に建設が始まり、7年の歳月を掛けて214年に完成しました。当初は秦の軍事用として築かれました。秦の始皇帝は、全国統一を図るためにこの運河を利用して50万の大軍を南方に送り込んだというのですから、すでに当時から今の規模の運河が築かれていたのでしょう。その後12世紀頃から灌漑用として使われるようになったとのことで、今でも農作物の生産に大きな役割を果たしています。

軍事用から民用に転用された技術の典型的な例ですが、2200年の歳月をものともせず、今もってしっかりと機能しているインフラ設備として、当時の土木の技術水準の高さには驚かさせるものがあります。

 

 

高見澤

 

おはようございます。

今朝も暑くなりそうな東京ですが、昨日に比べれば気温は少し低くなるようです。ただ、湿気が多くなり、蒸し暑く感じるかもしれません。

 

さて、昨日は中国の水をめぐる古代の知恵を紹介していきたいということで、文章を締めくくらせていただきました。それを受け、本日は、直接水に関係するわけではありませんが、中国の戦国時代に活躍した魏国の政治家である西門豹についてご紹介したいと思います。

 

西門豹の生没年は不詳ですが、魏の文侯(在位:紀元前445年-紀元前396年)に仕えていたので、大体の活躍時期が分かるかと思います。魏の文侯は歴史的にも名君として称えられ、晋国から趙、韓ともに分かれたばかりの魏を一大国にし、その配下には李悝(李克)、呉起、楽羊といったそれぞれに秀でた人物がいました。「孫呉の兵法」といわれる「呉」とは、呉起のことです。

 

文侯に仕えた西門豹は、当時水不足に苦しんでいた鄴(ぎょう、現在の河北省邯鄲市臨漳県から河南省安陽市にまたがった地域)の令(知事)に任命されました。鄴での逸話はいくつかありますが、特に灌漑水路工事にまつわる話は有名です。

あるとき、西門豹は漳水という河から鄴の田畑へ水を引く灌漑工事を始めます。これまでも何とか農作物を育ててきた村人たちは、この大事業に対して、そこまで苦労して工事をする必要はないと不平不満を漏らします。しかし、就任以来住民の信頼をかち得てきた西門豹のいうことなので、渋々ながら工事を行います。

 

その際、西門豹は「民可以楽成、不可与慮始(民はその成果を楽しませるのみ、その始まりを計るべからず)」と言います。「民とは結果をともに喜ぶことはできるが、その始まりを共に考えることはできない」、結果として住民やその子孫のためになるのなら、初めからその目的を分かってもらう必要はないということです。

 

結果として、灌漑工事の成果を認めた住民によって合計12本の水路が造られ、そののち鄴の農業は大きく発展して、魏が強国となるのに多大なる貢献をしたのです。この水路は後々まで使われ、現在でもこの地域は水不足にはならないと言われています。

 

智恵のある人が、世のためを思い、また人々の幸福を思って何かを始める場合、それまでの常識とは全く異なった発想や手法を用いることがあります。凡人にはその先が見えないのですが、それでもその人を信じて行うことにより、結果的には理想的な社会が実現し、人々が幸せになることにつながるわけです。

誰を信じるかは、その人の行いをみればわかります。西門豹は清廉潔白な政治家として有名で、最終的には中央の役人に賄賂を贈ることを拒み、鄴の令を退くことになります。その地位に固執することなく、自分の信念を貫く精神に感銘を受けます。

 

高見澤

 

おはようございます。

土曜日に降っていた雨も夜のうちに止み、昨日はとても気持ちのよい朝でした。朝方近所を散歩し、午後からは家族と一緒に近くの御殿山庭園に行き、都会では珍しい緑の中を歩きました。浮世絵にも花見などで描かれているところですが、今の季節はツツジが咲き、アジサイが色を付け始めていました。

四季を感じられる日本の良さをしみじみと感じました。

 

4年間駐在した北京では、春と秋はほんの一瞬です。極端に言えば、「昨日まで暖房が必要だったのに、今日からは冷房が必要だ」というくらい、季節が極端に変化します。

3月終わりごろから4月初めにかけて、柳の種を含んだ「柳絮」と呼ばれる綿毛が街中一面に飛び回ります。これが春の到来を告げる風物なのですが、この春の時期は2週間もありません。気温はすぐに上昇し、もう4月中旬には暑くなってしまいます。もちろん梅雨などありませんし、降水量は600ミリ足らずで、東京の1,500ミリ前後とくらべれば、かなり少ないことが分かります。そして、本格的な夏になると気温は40℃を超える日もあります。

 

このように比較すれば、北京では、平均的に雨はほとんど降らないことが分かりますが、ここ数年は亜熱帯でのスコールのような局地的な大雨に見舞われることが増えてきました。排水機能が講じられていない北京では、大雨による道路の冠水で人が溺死することもあり、今中国では「スポンジシティ」と呼ばれる、雨水を吸収し溜めておき、いざというときにその水を利用する機能を備えた都市の建設に向け動き出しているところもあります。

 

東京でも1時間に50ミリを超える大雨になると、土地の低いところでは冠水し、地下鉄の駅などに水が流れ込むことがあります。しかし、基本的に水不足で困ることはありません。北京では、水が少ないうえに、水質汚染などで水不足になることがよくあります。

駐在中に、マンションの水道からの水の出が悪く、水不足で水圧が抑えられているんだな、と思ったときがありましたが、これは私の勘違いで、蛇口のフィルターがただ詰まってだけでした。北京の水道水は日本と違ってミネラルが多い硬水です。蛇口のフィルターも詰まりやすくなるのは当然ですね。

 

一方で、中国南部では毎年洪水によって多くの被害が出ています。その余り過ぎる水を不足している北部に運河を建設して持っていこうという「南水北調」の一大プロジェクトも進められています。

水の量、水質ともに日本と大きく異なる中国ですが、この水をめぐる古代の知恵には驚かされるものが多くあります。それをこれから少しずつ紹介できればと思います。

 

高見澤

 

おはようございます。

会員の皆様には、事務局会計担当の青盛さんから、今年度会費のお振込み依頼が届いているかと思います。お支払いが遅くなりましたが、今朝私も振込を済ませました。事務局では経費削減に努めてはいるものの、ホームページの維持や各種イベント企画など最小限の固定費が必要ですので、皆様のご協力をお願い致します。当方としてもできる限り情報発信等を行い、ご満足いただけるような本倶楽部の運営に努めていきたいと思います。

 

さて、本日は中国のニュースサイト"China-Net"の日本語版に寄稿しました記事を絡めて、インターネット社会について紹介したいと思います。

 

タイトルにある「大いなる力には、大きな責任が伴う」というフレーズは、記事でも触れましたが、映画「スパイダーマン」に出てくる言葉です。

 

例えば、自動車を運転するには運転免許が必要です。それを取得するためにおカネと時間をかけて自動車学校で学ばなければなりません。自動車運転は一歩間違えば大変危険な凶器になり、大事故や大事件に発展する可能性があるわけです。ですから、免許という足枷をつけて責任に対する自覚を促すわけです。大型車や特殊車両、船舶や飛行機など、難しいものになればなるほど、その責任はさらに重くなっていきます。

そういう意味では、最近とみに無謀な運転で事故を起こすニュースが増えているように思われます。私もときどき東京都内を車で走りますが、責任を自覚せず、自分よがりな運転をするドライバーが増えたと感じています。もちろん、中国に比べればまだマシですが、傾向として中国では次第にマナーを自覚する運転手が増えている一方、日本ではその逆の現象が起きていることに危惧を感じています。

 

ここ最近、インターネットの普及など情報通信の発展によって世界が大きく変わってきています。奇しくも米国の社会学者ダニエル・ベル(Daniel Bell)や同じ米国の作家アルビン・トフラー(Alvin Toffler)が、1970年代に彼らの著書『脱工業化社会(The Coming of Post-Industrial Society)』や

『第三の波(The Third Wave)』

で予言していたような情報化社会が現実に生まれました。そして、その発展のスピードはこれまでとは比べ物にならないほど速くなっています。

しかし、その発展はあくまでも技術的な側面であり、それに人々の意識や精神が同時に成長しているのかという問題は別です。

 

五井野正博士が青年時代に書かれた『七次元よりの使者』だったでしょうか、そこに「現代は技術の進歩であって、科学が進歩しているわけではない」といった意味の表現がされていたことを思い出します。技術が進歩するには科学の進歩が伴わなければいけないし、科学の進歩には哲学の進歩が必要ではないかと思います。そのバランスがとれてこそ、真の意味での進歩、発展、成長が可能なのだといえるのではないでしょうか。

 

インターネットの発展は、我々の生活を便利にするだけでなく、世界を大きく変えることになりました。それだけ大きな力を持っているということなのですが、その反面、使い方を間違えれば大きな犯罪、災害をもたらすことになり兼ねません。そうした犯罪や災害を防ぐために、法律や制度による規制が必要だと言われるのが今の社会ですが、やはり人々の精神的成長なくして、インターネットが正しく使われることはないと思います。

 

 

http://japanese.china.org.cn/business/txt/2016-05/09/content_38411263.htm

大いなる力には、大きな責任が伴う-インターネット社会に寄せて

japanese.china.org.cn

大いなる力には、大きな責任が伴う-インターネット社会に寄せて。 419日のインターネットセキュリティ及び情報化事業 ...

高見澤

 

 

おはようございます。

今朝もまた日差しが厳しく、紫外線の強さを感じます。

 

この紫外線ですが、強い殺菌力があると同時に、浴び過ぎると皮膚がんのもとになるとも言われる電磁波の一種です。波長でいえば10nm(ナノメートル)から380nm、周波数でいえば30,000800THz(テラヘルツ)です。

この世界は、我々地球人には、見ることはできません。しかし、強い紫外線を受けると肌が痛むなど感覚で感じることはできます。一方、赤外線の波長は760nmから100nm1000μm(マイクロメートル)〕、周波数は4000.3THz3,000GHz(ギガヘルツ)〕で、こちらも同様に目には見えませんが、肌では暖かく、あるいは熱く感じることができます。

このような紫外線や赤外線、あるいは紫外線よりもさらに波長の短いX線の世界は、特殊なカメラや電波受信設備などを用いれば、画像に解析して一応目にすることは可能です。

 

一方、我々の目に見える世界というのは、波長360760nm、周波数800400THzの可視光線の世界になります。我々地球人にとって目に見える世界は、宇宙に存在する電磁波の極一部の狭い世界でしかないのです。その点、身体で感じる世界は紫外線から赤外線までの世界(光の世界)になり、目に見える世界よりは多少なりとも幅が広がります。

目に見えなくとも身体で感じるということは、それだけ広い世界を認識できるわけです。ましてや、第六感など精神的に感じる世界はそれよりもさらに広い波長、周波数の世界だと言えましょう。

 

それでは、赤外線よりもさらに波長の長いマイクロ波、短波、中波、長波の世界(電波の世界)、逆にX線よりも波長の短いγ線などの世界はどのように感じることができるのでしょうか? そして、さらにその先は???

 

そのような世界が理論的には現実問題として、この宇宙には存在しているのです。そのような世界は決して夢物語や迷信ではなく、このように十分に科学的理論を用いて証明できるのです。あとは、それを実際に体験できるかどうかですが...。

 

高見澤

 

おはようございます。

今朝の東京は雨、かなりの降りですが、今日中には止むとの予報です。沖縄も梅雨に入り、これから本格的な雨のシーズンになります。これから夏に向けて体調管理に努めてください。

また、昨夜から今朝にかけて茨城を中心に地震が発生していますので、しばらくは警戒が必要です。熊本、大分をはじめ、日本各地で地震が続いています。明らかに連動しているのではないかと思われます。

 

さて、昨日は現代経済学の矛盾についてお話させていただきました。以前にも、本瓦版や私の著書『中国の知恵と日本の伝統が民を済(すく)う』(リブロ、2009年)で紹介しましたが、初めて聞く方や忘れてしまった方もいるかと思いますので、改めて経済の本質について説明させていただければと思います。

 

「経済」の語源が「経世済民」にあることを知っている方は少なくないと思います。では、「経世済民」とはいったいどういう意味なのでしょうか?

中国隋代に、王通という人が書いた『文中子』という書物があります。その中の「礼楽篇」に、「皆有經濟之道謂經世濟民」という一文があり、これが「経済」の語源だと言われています。これを日本語に訳すと、「皆經濟の道有り、所謂世を經(おさ)め民を濟(すく)う」となります。

つまり、経済とは政治でもあるわけで、世を治めて民を救うことが経済の本質なわけで、非常に哲学的な概念であることが分かります。

 

一方で、「経済」の英語、"economy"はどうでしょうか?

その語源を調べてみると、古代ギリシア語の" oikonomia (オイコノミア)"から来ていると言われています。

"oikos"は"house"で「家庭」、"nomia"は"nomos"で 英語の"law"。古代ギリシア時代には「家」を守るルールを意味したものと思われます。しかし、現代では金融経済が幅をきかせ、経済政策といえば金融・財政政策が中心になり、数字の操作によって世の中を動かそうという数字の世界に埋没しているのが実態でしょう。

 

つまり、現在世界的に行われている"economy"政策には、「経済」の本質的な意味である哲学的概念はなく、そもそもの出発点が違うわけですから、決して人々が救われることにはならないことになります。

確かに、アベノミクスによって国内総生産(GDP)や輸出額は伸び、数字的には経済が潤ったように見えます。しかし、国民生活が豊かになったという実感を国民が持てたわけではありません。国民が豊かになった、幸福になった、平和になったと実感することが最も大切なことで、数字を増やすことが目的ではないはずなのです。

 

このことが理解できない限り、国や国民が豊かになることはありません。

 

高見澤

 

 

 

おはようございます。

思い起こせば、4年に北京駐在するまでは、「東藝術倶楽部瓦版」という形でお送りしいましたね。

本日から、この瓦版の形を復活させたいと思います。

 

先週、木曜日、金曜日と朝から外出していたものですから、メルマガをお送りできませんでした。特に金曜日は千葉県柏市まで行ってきました。中国広東省深セン(土ヘンに川)市にある不動産開発企業の益田集団会長一行が、日本のスマートシティのモデルプロジェクトとなっている「柏の葉スマートシティ」を視察するというので、そのアテンドのために赴いたものです。

今年3月、私の北京駐在最後の中国国内出張となった山東省済南市での国際スマートシティシンポジウムに柏市の秋山市長が出席され、その際、シンポジウムに参加していた益田集団の子会社の社長が秋山市長と一緒に食事をしたのが縁となり、今回の視察の際にも秋山市長が一行視察に駆けつけてくれました。

 

この柏の葉ですが、確かに日本ではスマートシティプロジェクトとしての取り組みが最も進んでいると言われていますが、正直なところまだまだ未完成で、試行錯誤を続けながら真のプロジェクト実現に向けて歩み続けているところです。なぜなら、最も進んでいるというこの柏の葉でさえ、運営自体を完全事業化できておらず、運営資金ですら国の補助がなければ運営がままならないからで、ましてや開発コストを回収するとなると、その実現はさらにその先の話になっているからです。

柏の葉は、開発運営母体である三井不動産が従来有していたゴルフ場の跡地を開発したもので、土地取得等のコストが不要であったことで、一般の土地の再開発に比べて安価に進めることができたのです。このプロジェクトには国、地方自治体(柏市)、研究教育機関(東京大学、千葉大学)、民間企業(三井不動産、日建設計、日立、シャープ、東芝他)が参加し、完全事業化も含めてプロジェクト実現に向けて日々努力を重ねていますが、その道はまだ半ばという状態です。

 

このスマートシティ構想ですが、なかなかうまくいかない原因として、以下二つのことが挙げられます。

一つは、このスマートシティは現代経済学抱える典型的な矛盾を体現していることです。その矛盾とは、「最大利益の追求」と「効率の最大化」によって現代経済学が成り立っているということです。つまり、一方でマネーをたくさん稼ぐことを謳っておきながら(最大利益の追求)、その一方でマネーを切り詰めることを説いている(効率の最大化)のです。現代経済学では、マネーを精一杯回して世界を潤すのか、それともマネーを回さずに世界を潤そうとするのか、一体どちらなのでしょうか?

スマートシティ構想は、企業としては土地開発して、より付加価値の高い住宅、オフィス、商業施設等を提供してマネーを稼ごうとする一方、住民サイドからすれば、如何に価格を抑えて購入し、サービスを受けようとするわけですから、企業側もコストを抑えようと努力しなければなりません。資金投入すれば、いくらでも付加価値を高めることができますが、一方でそれを享受しようとするユーザーがいなくなります。現在の商品価値は、サプライヤーとユーザーとの間の微妙なバランスの上に成り立っているわけです。

ですから、まともに考えれば、この矛盾を抱えたままでは、うまくいかないのは当然です。しかもすべてがマネーが基準ですから、新たな研究開発、イノベーションにも必然的に限界が見えてしまいます。

 

もう一つの原因は、スマートシティ建設は常に成長、進化しているということです。「そこで完成」というゴールがなく、常に新たな付加価値、住民の快適性を求めて研究開発が進められています。もちろんここにも付加価値とコストとのバランスが必要ですから、現代経済学の矛盾に問題の発端があることは間違いありません。

 

さあ、それでは一体「経済」の本質とは如何なるものなのでしょうか?

そして、その答えはどこにあるのでしょうか?

それを一緒に「江戸」に学ぼうではありませんか!

 

高見澤

 

 

おはようございます。

今朝の都心は昨夕からの雨も止み、少しばかりの日差しもあり、比較的暑く感じます。本日は中国からのお客さんとの会食があり、一応上着とネクタイを準備してきましたので、朝の通勤時に少々汗をかきました。

 

さて、昨日は「おもてなし」と「江戸しぐさ」について、私の思うところを紹介させていただきました。本日はそれに関連し、近年日本企業が盛んに主張している企業の社会的責任(CSRCorporate Social Responsibility)についてお話しようと思います。

 

「江戸しぐさ」という言葉の存在や概念についての議論よりも、もともと江戸の人々に自然に備わっていた他の人への思いやりが知らず知らずのうちに表に出てくることが何よりも重要なことで、この精神が「おもてなし」につながっていると、昨日は述べました。

 

思うに、企業が言うような社会的責任というものについても、本来の企業のビジネス活動そのものが本来であれば社会的責任を果たすものではないでしょうか。つまり、企業が本来のビジネスをしてさえすれば、わざわざCSRなどという言葉を持ち出す必要などないのではないか、ということなのです。

では、今ごろになってわざわざCSRという概念を創出し、その言葉を高らかに謳わなければならないのでしょうか? そこには企業自体に、世間に対してCSRを宣伝しなければならないという意識が存在する、裏を返せばそうせざるを得ないやましい思いが存在するのではないか、と勘繰られても仕方ないということでしょうか。

 

原則論からいえば、企業がモノを生産し、サービスを提供することは、他の人ができないことをしてあげることで対価を受け取る、というのが本来のビジネスです。投資家にしても、カネを持っているが、自分ができないことを実現してもらうために、その人に資金を提供することで、社会的責任を果たす、というのが本来の責務ではないかと思います。

 

米国の石油業界を牛耳っているロックフェラー一族の設立したロックフェラー財団のように、その組織は多額の資金を社会福祉やボランティアに投じているから、社会的責任を果たし、社会貢献に努めている、と早合点しがちですが、今なぜそうした行為をしなければならないのか、という視点で物事を見ると、また違った見方もできるのです。そのようなうがった見方をしなければならないこの世界の性にはうんざりですが、自分の身を守るためにも、本質を理解することが大切でしょう。

 

今話題のパナマ文書の公開問題も、国家要人や企業経営者によるタックスヘブンを活用した税金逃れというテーマそのものよりも、なぜ今この時期に公開するのか...という視点で考えてみては如何でしょう。

 

高見澤

2016.5.11

 

おはようございます。

昨日は、地下鉄銀座線で線路のレールが折れる事故がありました。私も毎朝銀座線を使って出勤していますが、朝早かったので、運行見合わせの影響を受けずに職場に着くことができました。

連休中の交通事故や最近の落下物による大きな事故など、嫌なニュースが続いています。ここにきて、日本という国に何らかの変化が生じているのは確かです。このようなときに、自分自身がどう行動するかが大事です。驕らず、謙虚に自分に与えられた課題を一つ一つクリアしていくよう努力あるのみだと思う次第です。

 

さて、昨日本ブログで紹介した「おもてなし」ですが、その精神が江戸と大きくかかわりがあると述べました。そのかかわりというのが、実は「江戸しぐさ」の精神なのです。

 

最近、「江戸しぐさ」に関する歴史的証拠はなく、史実ではなかったとの議論が繰り広げられていることは私も承知しています。確かにこの「江戸しぐさ」という言葉自体に疑問があるのは確かです。本来、人々に公共心や道徳心があれば、道の歩き方や立ち方、人との接し方などは、人に不愉快な思いをさせないような姿勢が自ずと出てくるものです。それが人として当たり前のことなのです。

 

私自身がこれまで勉強したなかで、江戸時代は理想社会であったと思える証拠がたくさんありました。「江戸しぐさ」という言葉ではなくとも、現代よりは人に対する思いやりがはるかにあったのではないでしょうか。いや、きっとあったに違いありません。幕末に日本を訪れた欧米人の記録〔(『逝きし世の面影』(平凡社 2005/9 渡辺京二著)〕をみれば、その事実を伺い知ることができます。つまり「江戸しぐさ」の史実性に対する議論はさておき、実際に江戸の人たちが、生活や仕事のなかで、人とどう係っていたのかという真実こそが大事なのです。

 

江戸時代にあったと思われる人に対する思いやりこそが、この「おもてなし」の原点ではないかと思う次第です。

 

高見澤

2016.5.10

 

おはようございます。

大型連休も終わり、次の祝日は718日の「海の日」までありません。とはいえ、働きすぎは身体によくありません。さまざまな原因により、今の日本人は抵抗力、免疫力が極端に落ちていますので、適度に休みをとり、心身ともにリフレッシュすることをお勧めします。

 

さて、先週は主に「モノづくり」についてお話しましたが、本日は日本のもう一つのビジネススタイルである「おもてなし」について、ご説明したいと思います。

 

ここ一、二年ほど、中国から多くの人が観光や日本製品を求めて日本を訪れています。いわゆる「爆買い」です。すでに中国語としても「爆買(baomai)」の新しい単語が定着するほどです。もちろん中国でも日本製品は価格がかなり高いですが売られています。それでも、わざわざ旅行代金を支払って日本で買うよりは、安いはずです。それなのに、なぜ中国人はわざわざ日本に来て日本製品を買い求めるのでしょうか?

 

一つは表向きの日中関係が改善しているように見えること、二つには日本での観光のついでに大量の「まとめ買い」ができること、三つ目は円安によって人民元建ての値段が安くなったこと、四つ目は日本の店舗で買う製品にまがい物がなく、信頼して本物の商品を手に入れることができること、そして五つ目に日本の売り場の店員の接客態度が丁寧で気持ち良く買い物ができるということです。特に大事なのは四つ目と五つ目で、お店にとってリピーターを増やす極意がここにあるのです。

 

中国のデパートで買い物をしたり、レストランで食事をしたりした方もいらっしゃるとは思いますが、店員やウエイトレスの態度に不愉快な思いをした経験は少なからずあると思います。売る気があるのかないのか、客を客とも思わない態度や表情で機械的に対応する者、逆に売り上げを上げようと必要以上につきまとう者など、極端な二つの面で買い物や食事する意欲が失われます。

 

普段からそのような状態で買い物や食事をしていた中国人が、一度日本に来て、笑顔で丁寧に接客されたらどう感じるでしょうか? またそこに来たいと思うのは、国や民族に関係なく、人としての当たり前の心理ではないでしょうか。

 

最近は、欧米思想、欧米教育の影響で、本来の「おもてなし」の精神はかなり薄れているように思えますが、もともと「おもてなし」の精神が根付いていないところから来れば、それでも今の日本には多少なりとも残っている「おもてなし」の精神に感動してしまうのです。そして、この「おもてなし」の精神も、実は江戸と大きなかかわりがあるのです。この続きは、次回に致しましょう。

 

高見澤

2016.5.9

 

おはようございます。

ゴールデンウイークもほぼ終わり、本日休みをとっていれば明日、明後日と連休の方もおられるかと思いますが、私は調査部長という肩書の手前もあり、取り敢えずカレンダー通りに出勤しています。

一昨日、家内と息子を連れて、久しぶりに藤沢の江ノ島までドライブに行き、海風に当ってきましたが、それ以外は、会報の原稿見直しや中国メディアから依頼された原稿執筆のための資料読み込みでずっと自宅にいた次第です。

さて、これまで日本独自のビジネススタイルである「モノづくり」と「おもてなし」について皆さんにご紹介してきましたが、本日はこのビジネスモデルこそが江戸時代にあったというお話をしたいと思います。

 

江戸時代に完成された庶民文化の代表の一つと言えば「浮世絵(錦絵)」ですが、皆さんご存知の通り、浮世絵は多色刷りの版画です。これには、絵を描く絵師、版木を絵の通りに掘る彫師、版木を使って紙に印刷する刷師の神業ともいえる三位一体の技術が必要になります。

 

一般的には、浮世絵といえば北斎や歌麿、豊国、広重等の絵師の名前が前面に出てきますので、当然絵師の存在なくしては浮世絵ができないのは当然です。しかも、その絵の芸術性の高さは、世界の美術館が認めるところで、大事に保管されていることは周知の事実です。

しかし、実際には絵師だけで浮世絵は生まれません。浮世絵を知る人からすれば、彫師や刷師が絵師とは別に存在していて、その役割の重要さがよく分かるかと思います。

 

現代の印刷のカラーといえば、基本三原色と白の四色の組み合わせで多くの色を表現していますが、浮世絵の色は天然顔料を使っていますので、数色、時には十数色の顔料を使ってさまざまな色を表現しています。そのためには、色ごとに版木を用意しなければなりません。通常、版木は100から200枚の紙を刷るので、それなりに堅いものでなくてはならず、通常は乾燥させた桜の木を使います。そこに絵師が描いた絵に従って細かな微妙な線を掘っていくのですから、その技術は相当なものです。子供のころ、彫刻刀を使って柔らかい木やゴムを彫った記憶がありますが、それでもうまく彫れず、指や手を切ってしまった経験を持つ方も少なくないと思います。

 

さらに、たくさんの色の着いた版木を1枚の紙に何枚も重ねて作品を仕上げるのですが、細かい線に寸分違いなく色をムラなく載せていくのですから、これもまた高い技術がなければできません。しかも、艶を出したり凹凸をつけるなど、空刷りといわれるような特異な印刷の手法もあり、彼らの水準の高さには頭が下がる思いです。

 

このように絵師、刷師、彫師の三位一体の連携によって生まれたのが浮世絵なのです。

 

翻って現代の日本のモノづくりに目を向けてみましょう。一枚の設計図を基に多くの中小企業が作った部品を集めて組み合わせると、寸分の違いもなくぴったりと当てはまり、ものの見事に一つの完成品が出来上がります。家電にせよ、自動車にせよ、こうしてありとあらゆるモノを作り上げてきたのがこれまでの日本企業でした。それが日本を世界第二位(今は中国に抜かれ三位ですが...)の経済大国にまで押し上げたのです。

もちろん中国人も優秀な人がたくさんいます。芸術家にせよ、技術者にせよ、一人一人の技術は世界的にも相当高い水準の人も少なくありません。しかし、それはあくまでも個々人の話で、日本企業のように多くの人が協力・連携してモノを仕上げるとなると別です。中国製品の場合、一部が壊れたので部品を取り換えようと思っても、サイズが微妙に異なり、叩いたり削ったりして無理やりはめ込む、なんていう例は数え切れません。

 

しかもですよ、このように高い技術で作られた浮世絵が、当時は呉服屋のチラシ(美人画)や歌舞伎役者のプロマイド(歌舞伎絵)、旅行のガイドブック(風景画)、エロ本(春画)などであったというのですから、その文化水準の高さには脱帽です。そうしたものが、今では立派な芸術作品として世界に名を馳せているのですから...

 

江戸時代に培われた「モノづくり」の原点は、浮世絵にあったというお話。ご納得いただけましたでしょうか?

 

高見澤

2016.5.6

 

おはようございます。

ゴールデンウィーク、皆さんは如何お過ごしでしょうか?

ひまわりクラブでは、明日からの3日間、信州でお茶会と信州故郷料理研修が開催されるとのご案内をいただきました。五井野博士のご講演もあるとのこと、私は残念ながら仕事の都合で参加できませんが、精神と肉体に直接響き渡るお話がお聞きできるものと思います。



さて、前回のメルマガの続きですが、日本のビジネスの基本精神として、「モノづくり」と「おもてなし」という言葉があるのはご存知かと思います。実は、日本の経済を根本から支えてきたものは、この二つの言葉にあると言っても過言ではありません。



とはいえ、この二つの概念を文化の異なる国の人々に説明するのは困難です。中国のある大学で日本経済について講義を行ったとき、この言葉をうまく中国語に翻訳できず難儀したことがありました。言葉として表だけをとらえれば「モノづくり」は「製造」、「おもてなし」は「服務(サービス)」と言えなくもありませんが、それでは真の意味するところは伝わりません。そこで、高級通訳の資格を持つ当協会の職員に聞いたところ、一般に新聞やニュースなどでは、「モノづくり」は「用心造物」、「おもてなし」は「誠心接待」という言葉が使われていることが分かりました。しかし、私自身ピンとはきませんし、そう感じる人も多いかと思います。つまり、この二つの概念は言葉として表せるものではなく、心で感じるものなので、どんなに言葉で説明しようとしてもできないのです。



ましてや西洋的概念で"manifacturer"は第二次産業、"service"は第三次産業などとビジネスの形式を分類するようでは、到底この二つの概念を理解することはできません。「モノづくり」には、作る職人の誇り、自信、責任があるのと同時に、使う人に対する配慮が含まれているわけで、「おもてなし」の精神がなければ「モノづくり」ではありません。逆も然りで、「おもてなし」には「モノづくり」で作られた食器や料理が欠かせないのです。つまり、この二つの概念は表裏一体であり、両方が揃ってはじめて完成される日本の文化そのものなのです。



この二つの概念を用いて完成された文化こそが、日本の江戸時代であったのです。これについては、引き続き本メルマガでお伝えしていきたいと思います。



高見澤

2016.5.2

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