おはようございます。この週末、屋久島では50年に1度という大雨に襲われ、土砂崩れで300人余りが孤立したとのことでしたが、無事皆さん下山されたようで何よりでした。今日から明日にかけて、西日本、東日本の太平洋側を中心に雷を伴う激しい雨になる可能性もあるとのことですので、十分ご注意ください。私は明日21日から北京に出張で、23日の夜のフライトで戻ってきます。その間、瓦版は休刊となりますので、ご了承ください。

 

さて本日は、「こんぴら船々追手に帆かけてシュラシュシュシュ...」と、皆さんもご存知の香川県民謡の「金毘羅船々」でお馴染みの金刀比羅宮(ことひらぐう)と各地を結ぶ「金毘羅街道(こんぴらかいどう)」について紹介したいと思います。金刀比羅宮は讃岐国、現在の住所表示では、香川県仲多度津琴平町、象頭山中腹に鎮座する神社で「こんぴらさん」と呼ばれて親しまれています。ちなみに「金毘羅船々」は「廻れば四国は讃州(さんしゅう)那珂(なか)の郡(ごおり)象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現...」と続きます。

 

「四国の道は金毘羅に通ず」と言われるほど、四国各地から金刀比羅宮に通じる街道がありました。これらを総称して「金毘羅街道」と呼んでいました。各地の金毘羅街道が整備されたのは、これもまた江戸時代のことです。金刀比羅宮に祀られている金毘羅大権現は昔から海上交通の守り神として民衆の間で広く信仰されており、特に江戸時代に入ってからは高松藩松平家の手厚い保護もあって、全国各地から多くの参詣客が金毘羅参りに訪れるようになりました。

 

それぞれの金毘羅街道には灯籠や丁石(ちょういし)が設置され、宿場も大いに賑わっていたようです。数ある金毘羅街道の中でも特に参詣客が多かった道として、「高松街道」、「丸亀街道」、「多度津街道」、「阿波街道」、「伊予・土佐街道」があり、「金毘羅五街道」と呼ばれています。もちろん、この金毘羅五街道以外にも金毘羅街道は多くあり、「金毘羅往来」とも称されています。

 

金毘羅五街道のうち、高松街道は別名「琴平街道」、「高松金毘羅街道」などとも呼ばれ、高松城(玉藻城)と讃岐国各地を結ぶ高松藩の「讃岐五街道」の一つとされています。高松城外堀に架けられていた常盤橋を起点に、栗林から円坐、畑田、滝宮、栗熊、岡田、榎井などを経て琴平に至る8里(約31キロメートル)の道程で、高松藩主松平家の御成道として整備が進められました。

 

丸亀街道は、丸亀港から丸亀城西側の中府、郡屋、与北を経て琴平に至る道です。陸路としての距離が比較的短く、平坦な道であったことから備前国(岡山県)や大坂など上方以東から金毘羅船でやってきた参詣客が丸亀港に上陸し、金刀比羅宮を目指しました。延享年間(1744年~1748年)に大坂と丸亀を結ぶ定期船が就航してからは更に参詣客が増して、数ある金毘羅街道のうちで最も賑わったといわれています。ちなみに丸亀は金毘羅土産の団扇の産地として知られています。

 

多度津街道は、丸亀港の西側にある多度津港から善通寺、生野、大麻を経て琴平に至る道です。多度津港には主に西国・九州や中国、北陸など日本海側の人たちが北前船で来訪し、上陸したようです。天保年間(1831年~1845年)に多度津藩が多度津港の大改修を行ってからは、丸亀街道を凌ぐ賑わいを見せたといわれています。

 

阿波街道は、阿波国(徳島県)から四国山地の一つである讃岐山脈(阿讃山脈)を越えて琴平に至る道で、阿波と讃岐を結ぶ街道はいくつか存在していたようです。中でも阿波池田(徳島県三好市)から猪ノ鼻峠を越えて財田、樅の木峠などを経て琴平に至る街道は「阿波別街道」と呼ばれ、貞光(徳島県つるぎ町)から三頭峠を越えて久保谷、造田、四条等を経て琴平に至る街道とともによく知られています。

 

伊予・土佐街道は、伊予国(愛媛県)から燧灘(うちひなだ)沿いに豊浜、豊浜から内陸を進んで伊予見峠を経て琴平の牛屋口に至る道です。伊予からの参詣客のほか、土佐街道を通ってやってくる土佐(高知)からの参詣客も大いに利用していたようです。幕末には坂本竜馬などの歴史上の人物もこの街道を利用したといわれています。街道沿いに多く見られる石灯籠は伊予や土佐をはじめとする全国の信者からの寄進によるものだそうです。

 

高見澤

 

おはようございます。昨日は急用で瓦版の更新ができず、失礼しました。新年度事業も準備期間が過ぎ、いよいよ本格的に動き出し、私としてもますます忙しくなりそうです。来週火曜日21日からは北京出張、再来週水曜日29日からは東北宮城県仙台出張、来月10日からは再度北京出張と目まぐるしい勢いで外での活動が増えてきます。今日も朝から中国政府・国務院参事室一行の表敬を受け、午後は経済産業省での会議と、日中両政府絡みの事業が続きます。

さて、本日は中国地方のその他の脇街道について紹介してみたいと思います。畿内と中国地方を結ぶ大きな街道として西国街道(山陽道)と山陰道について紹介したところですが、この西国街道と山陰道を結ぶ重要なルートがいくつかあるので、ここで主なものを紹介しておきましょう。

 

先ずは「因幡街道」です。因幡街道は、播磨国(兵庫県南西部)姫路と因幡国(鳥取県東部)鳥取を結ぶ道のことで、主に二つのルートがありました。その一つは鳥取から智頭(ちずかい)を経て使戸坂峠(しどざかとうげ)を越えて山陽道に至る「智頭街道(智頭往来)」です。このルートは鳥取藩の参勤交代にも使われ「上方往来」とも呼ばれていました。もう一つのルートは鳥取から若桜(わかさ)を経て戸倉峠を越えて姫路に至る「若桜街道(若桜往来)」です。この道は因幡国八東(はっとう)地域を通ることから「八東往来」とも呼ばれていました。