東藝術倶楽部瓦版 20210128:【江戸の町その61】江戸城の裏鬼門を護る産土神-「日枝神社」

 
東藝術倶楽部会員各位

おはようございます。

さて、本日は「日枝神社(ひえじんじゃ)」について紹介したいと思います。日枝神社は東京都千代田区永田町にある神社で、現在の日枝神社のある場所は外堀を挟んで赤坂の地域が広がっています。主祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、相殿として国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)が祀られています。「日吉山王社」、「日吉山王大権現社」、「江戸山王大権現」、「麹町山王」、「山王社」、「山王さま」などとも呼ばれています。

日枝神社の創建の年代はよく分かっていませんが、平安末期に江戸重継(えどしげつぐ)〔秩父重継〕が武蔵国江戸郷を相続した際に江戸貫主(かんしゅ/かんず)となり、館に山王社を勧請したのが始まりとも言われています。また、文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、城内鎮守神として川越の無量寿寺(喜多院中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請し、祀ったのが始めりとする説もあります。いずれにせよ、徳川家康が天正18年(1590年)に、江戸に移封された際に、将軍家の産土神(うぶすながみ)、江戸城の鎮守として城内の紅葉山に遷座したことははっきりしているようです。

慶長9年(1604年)、徳川秀忠が江戸城を改築した際に社地を江戸城外の麹町隼町に遷座して、庶民が参拝できるようにしました。当初社地は家康から5石、そして元和3年(1617年)に秀忠から100石が与えられ、寛永12年(1635年)には家光からの寄付を含めて600石となります。その際、祭礼の山王祭は「天下祭」、「御用祭」とも称され、神田神社の神田祭、富岡八幡宮の深川祭とともに江戸三大祭りの一つとされました。

明暦3年(1657年)の明暦の大火により麹町隼町にあった社殿を焼失、万治2年(1659年)に四代将軍・家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地としてあてがい遷座します。これが現在の日枝神社の場所で、ちょうど江戸城の裏鬼門(南西)に位置します。文政6年(1823年)には、楼門や回廊などが造営されました。


明治元年(1868年)の東京奠都の際に准勅祭社(じゅんちょくさいしゃ)と社格が定められます。明治3年(1871年)に日枝神社が神祇官直下から東京府の管轄へと移されました。明治14年(1881年)に東京府が官幣大社として認めて欲しい旨の申請を行い、翌明治15年(1882年)に官幣中社として認められました。日枝人社が官幣大社に昇格するのは大正元年(1912年)のことです。

昭和20年(1945年)の東京大空襲で社殿は焼失、その後昭和33年(1958年)に再建され、現在に至っています。

高見澤

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