東藝術倶楽部瓦版 20201224:【江戸の町その51】牛込郷の総鎮守-「赤城神社」

おはようございます。早いもので、今夜はクリスマス・イヴです。クリスマス・イヴというと、日本ではクリスマスの前夜というように捉えている人が多いと思いますが、実はクリスマス当日でることを知っている人はどのくらいいるのでしょうか。一般の暦では、1日の始まりは午前0時ですが、イエス・キリストが使っていたユダヤ暦とそれを継承している教会暦では、1日の始まりを日没としており、教会暦の1225日は一般の暦の1224日の日没から始まるので、24日の夜はイエス・キリストの誕生した25日に属するというわけです。

 

さて、本日は「赤城神社(あかぎじんじゃ)」について紹介しようと思います。赤城神社は東京都新宿区赤城元町にある牛込総鎮守の神社で、上野国赤城神社の分霊を祀っています。祭神は磐筒雄命(いわつつおのみこと)、相殿として赤城姫命(あかぎひめのみこと)が祀られています。境内には赤城出世稲荷神社、蛍雪天神、八目神社、葵神社があります。

 

鎌倉時代も終わりに近づく後伏見帝の御代の正安2年(1300年)、前回の牛込のところで紹介した上野国赤城山麓大胡の豪族・大胡彦太郎重治がこの地に移住した際、上野国赤城神社の分霊を勧請して早稲田鶴巻町に創建されました。最初に創建された場所は、現在は「元赤城神社」となっており、寛正元年(1460年)に太田道灌持資によって牛込見附近くへと遷座されます。その際、里人が旧地に元赤城大明神として祀ったのが、現在の元赤坂神社です。その後、弘治元年(1460年)に牛込氏を名乗った大胡宮内少輔が現在の場所に移したと言われています。

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江戸時代、五代将軍・徳川綱吉の頃の天和3年(1683年)、徳川幕府は江戸大社の列に「赤城明神社」を加え牛込郷の総鎮守とし、日枝神社、神田明神とともに「江戸の三社」と称されました。江戸末期の天保13年(1842年)に大火により社殿を含む施設が全焼します。翌年から再建に着手しますが、再建途中であった安政2年(1855年)の大地震なども重なり、社殿が復興したのは慶応元年(1865年)のことでした。明治維新以降は、郷社に列格しますが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失、最終的に再建されたのは昭和34年(1959年)のことでした。

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このページは、システム管理者が2020年12月25日 09:11に書いたブログ記事です。

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