おはようございます。
すでに黒木代表から事前のご連絡がされています11月12日(土)の勉強会の行程が固まりつつあります。追って皆様にはご案内させて頂きますが、現地を歩いてみて知り得ることもたくさんあり、今回もいくつかのサプライズを味わうことができるかと思います。
さて、今日は江戸の「居酒屋」についてご紹介したいと思います。この居酒屋ですが、そもそもは字の通り、小売りの酒屋が店先で味見に一杯だけ売っていたのが、そこにちょっとした肴を出すようになり、居座って飲むので「居酒屋」といわれるようになったものです。それが次第に肴のメニューも増え、酒屋とは別に酒と肴を出すみせが登場していったのです。
一方、以前にも紹介しましたが、江戸時代には定食屋としての「一膳飯屋」が登場し、男の多かった江戸ではそこに酒を置く店も出てきました。更に、惣菜を調理して売っている煮売り屋で、惣菜を肴に一杯、ということもあったようです。
このように、酒屋、一膳飯屋、煮売り屋と、それぞれ別の商売だったものが、同じように居座って酒を飲ませるということで、まとめて居酒屋と呼ぶようになったとのことです。
「てやんでえ、こちとら江戸っ子だい。宵越しの銭は持たねえや...」と落語なんかでよく耳にするセリフですが、居酒屋はその日の稼ぎをみんな飲み食いで使ってしまう下層階級の行くところで、武士や店の主が行くところではありませんでした。また、店の構も、酒屋系ならば店の軒先に座るための床几や空樽を椅子替わりに、一膳飯屋系なら水茶屋程度の小屋に葦簀張りで、こちらも座るのは床几、煮売り屋なら調理設備も必要なので、表長屋の一軒で畳が敷いてある上がり座敷、といった具合です。
更に、時代劇のようにテーブルや椅子なんてものはなく、一般に同じテーブルを囲んで一緒に食事をしたり、酒を飲むようになったのは、 明治後半以降のことで、江戸時代は家庭も飲食店もすべて膳か折敷(をしき)というお盆のようなものを使っていました。
酒を入れる酒器についても、燗徳利が登場するのは江戸時代後期のことです。それまでは「チロリ」という金属製の縦長の容器に入れて燗をして、武家屋敷や料理茶屋では「銚子」と呼ばれる磁器や漆塗りの容器に移し替えて客に出し、居酒屋ではチロリごと客に出していました。
そうそう、「お銚子」というと、今では陶器制の首のくくれた容器を思い浮かべますが、実はそれは「燗徳利」のこと。「銚子」は結婚式の三々九度などで酒を漆器の器にそそぐ急須のような形をした漆塗りの容器のことなのです。
燗徳利は、チロリと銚子の両方の用途を兼ね備えたもので、本来は略式の酒器という位置付けでした。ですから高級な料理茶屋では出さなかったのですが、その便利さと冷めにくいということから、次第に使う店が増えていったようです。
居酒屋の本来の意味、燗徳利と銚子の違いなど、時代とともに忘れ去れていくのは、寂しい限りです。
高見澤