東藝術倶楽部瓦版 20161021 :信州人だけではなかった!江戸っ子のソールフード-そば

 

おはようございます。東京は今日も朝から日差しがまぶしく感じます。北海道では寒気が入っているようですが、昨日の昼間は少し暑いくらいでした。それでも夜になると少し冷え込みましたが、人によって感じ方は異なるようで、息子は半そでのTシャツ、上の娘はマフラーという姿に、思わず笑いが出てしまいました。

 

さて、本日は昨日に続いて「そば」のお話をしていきたいと思います。今の麺類としてのそばの原型である「そばきり」について歴史を遡れば、今のところ天正2年(1574年)の「定勝寺文書」に行きつくことは昨日述べた通りです。

 

江戸時代初期には、昨日も紹介したように「つばぎ」が使われてそばきりが作られるようになりましたが、このそばきりを、味噌をつくる工程で生じる「垂れ味噌(醤油の原型)」をかけて食べていたようです。しかし、これは寺などで食べる精進料理の一種で、一般に庶民が食べるようなものではありませんでした。

 

5代将軍徳川綱吉の頃(16801709年)、小屋がけや屋台でうどんやそばを食べさせるところが登場します。ただ、その当時はまだうどんがメインのようでした。元禄年間(16881704年)頃には店舗の店も開店し始めますが、これもまたうどんがメインでした。当時、うどん屋の看板に「けんどん」と書かれているところが多かったようで、これは「一人前ずつ盛り切りにして、あとは給仕をしないので勝手に食べてくれ」という意味だとか。何となく立ち食いそば屋のイメージでしょうか。

 

江戸時代中期、8代将軍徳川吉宗の頃(17161745年)になると、そばのつなぎに小麦粉が使われるようになります。「二八そば」というのがありますが、これは小麦粉2に対してそば粉8の割合でつくられたそばという説もあります。このほか「十割」、「三七」、「半々」、「外二」など多種多様なそばが生まれました。そば汁についても、鰹節から取った出し汁に醤油を加えたものができるようになりました。また、かけそば、蒸して温めた蒸篭(せいろ)そば、冷水で洗った盛りそばなど、多くのバリエーションができて、江戸庶民の食べ物として定着していきます。

 

寛政元年(1789年)、江戸の麻布長坂町で江戸暮らしをしていた信州の行商人・清右衛門が「信州更科蕎麦処」の看板を掲げ、信州からの直売を売り物にして、そばの実の中心のみを挽いた白い上品な「更科そば」を販売し始めます。また、雑司ヶ谷鬼子母神前や本郷団子坂では、そばの実の甘皮の色を入れた薄緑色の「藪そば」が生まれました。

 

文化年間(18041818年)になると、汁に砂糖や味醂が使われるようになり、江戸っ子好みの甘辛いそば汁が完成します。

 

こうして江戸時代に進化を遂げたそばですが、値段はといえば16文、これは「二八」を掛け合わせた数字になり、これが「二八そば」の意味だという説もあります。江戸中期の延享元年(1744年)から幕末の万延元年(1860年)までの100年間、幕府がそばの値段を認可制にしており、値段は変わりませんでした。それほど、そばは江戸庶民にとって欠かせない食べ物だったのです。

かけそばが値上げできないことから、そば屋では付加価値を高めるために魅力あるメニュー作りに走ります。これが「種物(たねもの)」と呼ばれるそばです。葛あんの「あんかけそば」、小柱の「あられそば」、エビ天の「てんぷらそば」、浅草海苔の「花巻そば」、とじ卵の「とじそば」、鴨葱の「鴨南蛮」など、現代のそば屋にある定番メニューがこのころに誕生したのです。

 

更に、元々そばは飢饉をしのぐ「救荒食」として食べられていたのですが、それがこうした形で一般に食べるようになるのと同時に、三十日(みそか)に食べる「晦日そば」、大晦日に食べる「年越しそば」の習慣が江戸時代中期に定着します。金銀細工師が、飛び散った金粉や銀粉を、そば粉を使って集めていたことから、縁起をかついで掛け金の回収前にそばを食べるようになったとのゲン担ぎが「晦日そば」や「年越しそば」の習慣が生まれたといわれています。「引っ越しそば」の習慣もまた江戸時代に生まれたとされています。

 

信州人にとってそばは元気の源、ソールフードなのですが、それは江戸っ子にとってもいえそうですね。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2016年10月21日 08:06に書いたブログ記事です。

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