東藝術倶楽部瓦版 20171027:早生、中稲、晩稲

 

おはようございます。秋も深まり、一日一日と寒さが増しています。今週末に日本列島への接近が危惧されていた台風22号も中々進路が定まらず、気をもませる展開になっているようです。

 

さて、本日は「早生(わせ)」、「中稲(なかて)」、「晩稲(おくて)」について紹介したいと思います。

 

この早生、中稲、晩稲というのは、成熟期の遅速による稲の品種を分類したもので、それぞれ初秋、仲秋、晩秋に対応しています。稲については、また改めて紹介したいと思いますが、日本では一般に3~4月頃に種もみが蒔かれ、穂が出て受精した後、乳熟期(にゅうじゅくき)、糊熟期(こじゅくき)、黄熟期、完熟期といった成熟段階を経て収穫されます。概ねの目安としては出穂から10日ごとにそれぞれの熟期に至ります。

 

大部分は9月下旬から10月中旬が収穫期の中稲です。早場米として出荷される早生の成熟期は、中稲よりも1カ月以上も早く、千葉県南部で8月中旬には収穫が始まります。冷害対策として早生種がつくりだされ、明治以降は北海道でも栽培できるようになりました。晩稲は中稲よりも二週間ほど遅く、10月下旬から11月初め頃が収穫期となります。この早生、中稲、晩稲の収穫時期は、トウモロコシや玉ねぎなどの他の農産物、或いは植物の成育時期にも使われています。

 

中国では北宋の時代(960年~1127年)、1012年に第3代皇帝・真宗(在位997

1022年)が福建省に使者を遣わして安南(ベトナム南部)地方原産の「占城米(せんじょうまい、チャンパ)」の早生の品種を取り寄せたのがインド種の赤米「大唐米(だいとうまい)」で、既存の品種と組み合わせて、早くも12世紀頃にはすでに早生、中稲・晩稲で二毛作が行われていました。日本には室町時代にこの大唐米がもたらされ、既存の南方系の米と合わせて品種改良が進み、早生、中稲、晩稲の品種が出来上がり、それぞれの地方の気候条件に合わせて栽培されていたようです。この大唐米の品種改良ですが、日本では「早大唐」、「晩大唐」、「白早大唐」、「唐法師」、「大唐餅」、「小大唐」、「唐穂生」、「野大唐」の8品種に分化したというのですから、それなりの技術があったことに驚かされます。

 

早生が「早稲」、中稲が「中生」、晩稲が「晩生」とも表記される場合もあります。また、晩稲は「おしね」、「ばんとう」とも読まれます。もうお分かりでしょうが、晩稲は「奥手」の語源とされています。

 

稲はこの日本にとって最も風土・気候に適した主食です。有機無農薬米を玄米のままいただくのが理想的です。米は日本の心、大切にしたいものです。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年10月27日 08:57に書いたブログ記事です。

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