東藝術倶楽部瓦版 20180117:蕎麦は金を集めるー大晦日と年越し

 

おはようございます。今日の東京の天気予報は昼前頃から雨とのことで、今のところはまだ降り出してはいません。特に冬は乾燥していますので、少しはお湿りがあった方が喉の調子には良いかもしれません。

 

さて、1年の最後の「晦日(みそか)」、1231日のことを「大晦日」ということは、皆さんご存知のことと思います。もっとも天保暦以前の旧暦では1230日、または29日であったわけですが、新暦では12月が大の月として固定されたので、1231日となりました。毎月の晦日を「つごもり」とも呼び、大晦日は「おおつごもり」とも称しています。

 

大晦日は1年最後の日であることから、一般家庭では、大掃除や正月用商品の購入、門松、注連縄(しめなわ)や鏡餅など正月飾りの準備が行われ、商店街も慌ただしくなります。江戸時代の大晦日の日は街中の人通りも多く、朝早くから夜遅くまで活気にあふれていたようです。あちらこちらに歳の市が立ち、商家では新しい暖簾がかけ替えられ、暗くなると軒提灯や高張提灯が掲げられるなど、夜遅くまで賑わいをみせ、街中を借金取りが駆け回っていました。また、宮中では、大晦日には「節折(よおり)」の式、大祓、除夜祭が執り行われ、神社では大祓の神事が行われていました。

 

大晦日から元旦までの間に行われるのが「年越し」です。年越しの境目が「除夜」となります。除夜については、次回詳しく紹介したいと思いますが、この年越しは、昔は年が一つ増えることから、「都取り」とも言いました。また、1年の変わり目であることから「大歳(おおとし)」、「年の夜」とも言われます。

 

年越しの際に、家族が寄り集まって蕎麦を食べながら年を越す習慣があります。これが「年越し蕎麦」です。蕎麦粉で作った麺は、本来は「蕎麦切り」と言っていました。この年越し蕎麦の習慣は、江戸中期の元禄年間(16881704年)と言われていますが、定かではありません。もともとそれ以前には、月末に蕎麦切りを食べる風習があったようで、1年の最後に食べる風習だけが年越し蕎麦として残ったものとして考えられています。

 

蕎麦を食べるのは、蕎麦が細く長い食べ物であることから、「細く長く」ということで、家運や寿命が長くなることに通じるためとも言われています。また、蕎麦が五臓の汚れを取り除くとされ、無病息災を祈るところからきたという説もあります。蕎麦には粘着力があって、江戸の職人たちは大晦日の大掃除のときに、蕎麦を練った団子を持って、部屋の隅々の小さなゴミや埃を取っていました。特に金銀細工を生業としている職人にとってはこの方法が珍重され、大晦日に限らず金粉銀粉をかき集め、それを七輪や火鉢の上で焼いて灰にすると、金や銀の粉だけが残るという訳です。「蕎麦は金を集める」といった諺もあるそうです。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年1月17日 10:59に書いたブログ記事です。

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