東藝術倶楽部瓦版 20180306:十分一取るにおろかな舌はなし-「江戸時代の結婚」

 

おはようございます。昨晩の雨もすっかり上がり、比較的きれいな空気の朝を迎えました。中国では、日本の国会に当たる全国人民代表大会(全人代)が始まり、昨年11月に発足した第二期習近平政権の下での政治体制が固まります。日本のメディアなどでは、独裁政権化することへの危惧を指摘する報道もありますが、巨竜中国という国を鑑みれば、欧米流の民主主義などという悠長な概念で国を治めることなど到底叶いません。5000年以上の歴史の中で、強権をもって信賞必罰で国を治めてきた中国ならではの統治体制だといえます。

 

さて、本日は人生儀礼の中でも特に一つの大きな節目となる「結婚」についてお話ししたいと思います。結婚について語るとなると、あまりにも分野が多岐にわたり、膨大な資料と向き合わなければならないので、ここでは江戸時代に的を絞ってお話し致します。

 

今では当事者の男女が合意すれば結婚は成立しますが、江戸時代ともなればそうもいきませんでした。今でも田舎の方では家同士のつきあいなどもあり、割と面倒なことも多いようでしたが、村社会を中心とする社会構造が出来上がっていた日本ではそれが当たり前であり、合理的なシステムでもあったのかもしれません。

 

江戸時代の結婚と一言で言っても、身分によってスタイルや考え方が大きく違っていました。基本的なスタイルとして「通い婚」、「嫁入り婚」、「独立婚」の3つがありました。まず「通い婚」ですが、これは男性が女性の家に通うという結婚スタイルで、一部の農村に残っていたものだそうです。結婚してもそれぞれの「家」というものから解放されることはありませんでした。次に「嫁入り婚」ですが、これは女性が男性の家に入るスタイルで、江戸時代に一般的になりました。最初から男性の両親と同居することが前提となり、今でもこのスタイルの結婚は少なくありません。そして最後に「独立婚」ですが、これは読んで字の如く、どちらの家にも入ることなく、2人で独立するものです。現代ではこれが一般的な結婚のスタイルになっており、江戸時代でも長屋の住人など、身軽に動ける人ならではの習慣だったようです。

 

結婚相手を決めるには、今では自由恋愛が大前提となっていますが、昔はそうも言ってられない場合が多かったようです。結婚相手の決め方にもいくつかパターンがありました。その一つが「政略的縁組み」です。武家など身分が高い家はこの政略的縁組みが主流で、本人同士の意思はほとんど考慮されず、家同士の結婚ということが重要視されました。二つ目が「跡継ぎ指名」というパターンです。これは主に商家や職人の家で行われていた方法で、息子に家を継がせず、長女に有能な婿を迎えることになります。婿はその家の番頭や弟子の中から選ぶことが多かったようです。三つ目が「お見合い」です。当時の庶民の間ではこのお見合いが一般的だったようですが、今と違うのはきちんと二人が対面して会って話をするというのではなく、寺社詣や芝居見物などですれ違ったり。遠くから見る程度のものだったそうです。決裂した場合の仲人の面目に配慮しての方法だったようです。そして四つ目が「くっつき合い」です。これこそが自由恋愛のことです。このパターンは長屋の庶民ならではのものでした。武家や商家の者にとっては、結婚は自分では決められず窮屈なものでした。そういう意味では、庶民の方が自由で楽しい結婚生活が送れていたのではないでしょうか。

 

江戸時代の一般的な結婚の流れですが、縁組みにあたっては、まず両家の家柄や財産の釣り合いが重視されます。婚礼の仲人は「分一(ぶいち)」といって結納金の十分の一が謝礼として受け取ることができることから、適齢期の娘や息子を物色しては縁談を持ち込み、仲人を生業にしている者もいたそうです。「十分一取るにおろかな舌はなし」。ちなみに男性の適齢期は40歳前後、女性は20歳までとか。お見合いの場所や水茶屋か芝居小屋が選ばれることが多く、当事者を交えた両家がそれとなく観察し合い、一方が先に席を立つと不成立とのこと。話がまとまれば媒酌人が立てられ、結納そして輿入れとなります。婚礼は迎え入れる側の自宅で、三々九度の杯が交わされるという流れです。

 

武家の婚儀で花嫁が着飾るのは白無垢の着物に白い綿帽子というのが江戸時代の一般的な姿でした。花嫁の被り物が、顔が隠れる綿帽子から今の角隠しになったのは昭和初期のことだそうです。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年3月 6日 10:31に書いたブログ記事です。

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