おはようございます。昨夜、出張先の北京から戻ってきました。北京では、一昨日は中国側との会議の後、清華大学MBAに通って勉強を続ける企業経営者との懇談があり、それら結果報告をまとめ、昨日は午前中、河北省で建設中のスマートシティー「雄安新区」を視察、午後のフライトに飛び乗りました。チェックイン締め切りギリギリのタイミングということで、あと10分遅かったら乗り遅れていたところでした。今日は朝から今次出張報告と今後の対応について、経済産業省で打合せです。出張中の溜まったメールに返信する暇もないなか、この瓦版だけはお送りするようにしているところです。
さて、本日は「讃岐街道(さぬきかいどう)」について紹介したいと思います。讃岐街道とは四国の各地から讃岐国(香川県)に通じる街道のことを指します。俗に「讃岐五街道」と呼ばれる5つの主要なルートが知られています。讃岐五街道は「高松五街道」とも呼ばれています。
その一つが、徳島から高松に至る「志度街道」です。この道は徳島藩政時代に整備された「阿波五街道」の一つでもあります。徳島城の鷲の門から佐古、蔵本を経て徳命の渡し(藍田町)で吉野川を渡り、大寺(板野町)から大坂峠を越えて讃岐に入り、馬宿(引田)を通って高松城常盤橋に至る道です。途中、大寺では撫養(やむ)町岡崎(鳴門市)と池田町(三好市)を結ぶ「撫養街道(川北街道)」と交差しています。出入国を取り締まる関所が大坂峠に設けられていました。
讃岐五街道の一つに「丸亀街道」があります。この丸亀街道は丸亀港と琴平を結ぶ金毘羅五街道の「丸亀街道」とは異なるもので、高松城常盤橋から坂出、多度津を通り丸亀で南下して善通寺に至る街道です。
高松城常盤橋から「四国八十八カ所」の第87番札所の「長尾寺」(さぬき市)への東讃地域を東西に結ぶ道が「長尾街道」で、これもまた讃岐五街道の一つに数えられています。
高松城常盤橋から市内を南下して太田で分岐して仏生山(ぶっしょうざん)まで至るルートが讃岐五街道の一つ「仏生山街道」です。現在、高松市内から太田までは「塩江(しおのえ)街道」と重複していますが、塩江街道はそのまま塩江温泉を通って徳島県に通じています。仏生山には、初代高松藩主・松平頼重が菩提寺として建立した法然寺があり、門前町として栄えていました。
そして、讃岐五街道の最後の一つが金毘羅五街道の一つでもある「高松街道(琴平街道)」です。この街道については、前回紹介しましたので、ここでは省略したいと思います。
同じ街道でも、出発地点や向う方向によって呼び名が異なるというのは、江戸ならではのユーモアなのかもしれません。
高見澤