おはようございます。3連休は少しムシムシしたものの、気温は上がらず、比較的涼しかったように思えましたが、如何でしたでしょうか。昨日は中国の上半期の経済成長率が発表され、前年同期比6.3%増と景気減速感が伝えられていますが、それでも日本の2.5倍の経済規模を誇るなかで6%台の成長率を維持するのはそう容易なことではないと思います。とはいっても、この数字の根拠が正しければの話ですが...。統計数字は一つの目安に過ぎないことも理解しておくことが大事です。
さて、本日は江戸時代の陸路での主要な移動手段であった「駕籠(かご)」について紹介してみたいと思います。現在、世界では年間に約1億台の自動車(乗用車及びトラック・バス)が販売されており、そのうち日本ではその5%強の500万台が売られ、陸上での重要な交通・輸送手段となっています。もちろん、江戸時代には自動車などなく、その役割を果たしていたのが人力による駕籠や荷車、馬や牛などの動物を動力源とした車でした。
駕籠については、皆さんも時代劇などでよくご存知かと思いますが、人が座る部分を1本の棒に吊るして、複数人でその棒を前後から担いで運ぶ乗り物です。人が座る部分は竹製の簡易なものや、木製の箱型のものなどいくつかの種類があります。その動力源はあくまでも人で、一般には2人1組で走りますが、交替要員を含む3人1組で担ぐ場合は「三枚肩(さんまいがた)」、4人1組の場合は「四枚肩(しまいがた)」、更に8人の場合は「八枚肩(はちまいがた)」或いは「八人肩(はちにんがた)」と呼んでいました。四枚肩では4人一緒に担ぐ場合と、2人ずつ交替で担ぐ場合がありました。
駕籠の起源は定かにはなっていませんが、古代にはすでに使われていたとの説もあり、中世後期にその形がほぼ定まったといわれています。従来は公家や武家が使っていたものですが、江戸時代には庶民にも広く使われるようになりました。自動車の保有台数が国民の豊かさを示す一つの指標であるとすれば、江戸時代は飛躍的に庶民が豊かになったことを示しています。
古来、中国や西洋では馬車や牛車が広く発展しましたが、江戸時代にはそうした車が広く使われたという記録はなく、普及しなかった理由はよく分かりません。もともと平安時代から中世にかけては牛車が使われていましたが、江戸時代にはほとんど使われなくなっていたようです。
駕籠といっても用途や使う人によって様々な違いがありました。一般的に庶民が使うものは、まさに駕籠と呼ばれるもので、大名や公家など身分が高い人が使う引き戸のついたものは特に「乗物(のりもの)」と呼ばれていました。ちなみに、2本以上の棒の上に人が乗るを載せたものは「輿(こし)」と呼ばれ、駕籠とは区別されています。
明治以降、人力車が駕籠に代わって人々の移動手段となります。次回はいろいろな駕籠の種類について紹介したいと思います。
高見澤