おはようございます。
北京駐在から帰国して、もうすぐ2カ月が経とうとしています。人からよく「東京の生活には慣れましたか?」と聞かれますが、「なかなか慣れません。もう少しリハビリが必要です」と答えてしまいます。
駐在中は職場と家が近く(歩いて10分)、社有車が比較的自由に使え(もちろん業務でですが...)、駐在手当(在勤加俸)や住宅費の会社負担など、今思い返せば贅沢な暮らしをしていたなぁと思う次第です。とはいえ、それなりに仕事はきつかったのですが。
さて、ここ数日間は中国の水に関するお話を続けていますが、しばらく中国のお話にお付き合いいただき、その後に江戸の水に係る話題に移るようにしたいと思っています。
本日は「京杭大運河」です。「京」は北京、「杭」は浙江省の省都である杭州を指し、その名の通り杭州と北京を結ぶ全長1,794キロの世界最長の運河です。途中に黄河や長江(揚子江)を貫き、北京、天津、河北、山東、江蘇、浙江の2直轄市、4省を通っています。
この運河の開削が始まったのは紀元前5世紀の春秋時代だというのですから、その歴史は2500年余りに達し、世界最古の運河でもあります。最初の掘削は、紀元前486年、呉王夫差の時代に10年の歳月を費やして邗溝を掘り、長江と淮河をつないだことです。この時代、呉では初代「孫子の兵法」で有名な孫武や楚の平王に鞭打った怨念の塊・伍子胥などの人物が活躍しています。
戦国時代には、大溝と鴻溝という運河の掘削により、長江、淮河、黄河、済水の4大水系がつながりました。
その後、時代は大分後の隋の時代になりますが、二代皇帝・煬帝が604年に大運河の工事を始めます。まず、黄河と淮河を結ぶ通済渠、続いて黄河と天津を結ぶ永済渠、そして長江と杭州を結ぶ江南河が完成し、河北から浙江をつなぐ大運河となったのです。その完成は610年のことです。
さらに元代には、杭州から大都(北京)への運河全線が開通し、これが現在の京杭大運河の前身となりました。
この京杭大運河は一から全てを開削したのではなく、それぞれの時代に造られた既存の小運河を連結した部分もかなりあります。
もちろん軍隊の遠征など軍事用に利用され、南北統一の役に立ったこともあれば、江南の物産を華北に運ぶ物流に大きく寄与したこともあります。
この運河は今でも利用されていますが、山東省の済寧以北は水量が激減し、主に利用されているのは杭州―済寧間と北京―天津間です。しかし、近年水不足が深刻な中国の北部に、水の豊かな南部から水を送る「南水北調」プロジェクトに、この運河が利用されているのも事実です。
過去の遺産をしっかりと受け継ぎ、それを現在の生活に活かす工夫が中国では続けられています。
高見澤