おはようございます。昨日は、先日の日本経済界の訪中代表団の結果報告を安倍総理にするために、訪問団の団長とともに首相官邸に行ってきました。間近で直に安倍首相にお会いしてお話を聞くことができたのですが、今まで持っていたイメージとは大分異なり、改めて一般人とは違った世界の人であることに気付かされました。
黒木さんからご案内があったように、来月勉強会がありますので、その際にこの件についても詳細にご報告させて頂ければと思います。お楽しみに!
さて、本日は昨日の続きで、いよいよ「すし屋」について紹介したいと思います。
江戸時代後期に誕生した「握りずし」もそうですが、それ以前の「押しずし」の時代から屋台で売られることが多く、ちゃんとした食事というよりも、小腹が空いたときに立ち食いをする間食というイメージだったようです。値段は1個8文(160円)ほど、玉子焼きだけが16文ほどで、庶民にとっては魚と飯が一緒に食べられる手軽な食べ物として瞬く間に定着していきました。
屋台の暖簾(のれん)をくぐると、黙っていても先ずは大きな湯飲み茶碗にお茶が出されます。その茶を一口飲みながら台の上に並んだネタをチェック。店の方も客の厳しいチェックに耐えられるネタを用意しなければならず、客の注文で握り始めても、握り手の手元は常に客に見られています。
一方お客はといえば、握られたすしを端から手に取って、大きなどんぶりに入れられた醤油にちょっとだけつけて、そのまま口に放り込みます。このとき、うっかりどんぶりの中にネタや飯を落としたら大変! なぜなら、醤油はお客全員が共用するもので、二度づけ禁止だからです。食べ終わったら、湯飲み茶碗にわざと残しておいたお茶で指先を洗い、暖簾の端でさっと拭いて、勘定を支払う。これが江戸の「握りずし道」というもので、まさに店側と客との「真剣勝負!」といった感じだったようです。だからこそ、すしは単なる食べ物ではなく、江戸文化の代名詞にもなっていったのではないでしょうか。
この「すし」の当て字について一言。最初は発酵して酸っぱいという意味で「酸し」、その後魚と酢を合成して「鮓」、そして魚の塩辛という意味の「鮨」を魚が旨いという意味で用いられ、握りずしが登場する頃になると、縁起を担いで「寿し」や「寿司」という字が使われるようになりました。
江戸の握りずし道、皆さんも試されては如何でしょうか?
高見澤