おはようございます。今朝の東京も少し冷えましたが、北海道では既に雪が積もっているところもあるとのこと。季節外れというよりも、異常気象は一方で温暖化する一方、寒冷化する部分もあるようにも思えます。単なる温暖化効果ガスによるものと断定せず、もっと本当の意味での科学的見地からの検証が必要ではないでしょうか。そうしないと、頓珍漢な対策で効果がないどころか、逆の作用を起こさせてしまう可能性もあるからです。
さて、今日も江戸の「お菓子」について続きをご紹介しましょう。前回は菓子作りに欠かせない砂糖でしたが、江戸ではこの砂糖の普及によって爆発的にお菓子作りが盛んになります。とはいえ、江戸独自のお菓子が江戸時代後期になっても広まっていなかったという事実があります。
文政7年(1824年)に出版された『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』という今でいうガイドブックがありますが、それには70項目近い業種のグルメ、お土産情報が掲載されており、もちろんお土産の定番であるお菓子も120軒の店が紹介されています。この120軒のうち、2割近くが京菓子を謳い、同じく2割が御所や寺社の御用を表示して京菓子を連想させています。
また、幕末に紀州(和歌山県)から江戸に出てきた医師の原田何某(名前不明)が書いた『江戸自慢』という見聞録によると、「菓子は上方には及ばない、看板、暖簾などに、京菓子と書いているのを見ても推測できる」と批評しています。さらに、「饅頭はことのほか下手で、皮の厚いこと娼婦の下腹、芸妓の頬のようだ」ともいっています。何となく説得感のある表現で笑ってしまうのですが、そんなに酷かったのでしょうか? しかし、その一方で、「餅は高級品ではなくともおいしいし、おてつ牡丹餅、永代団子、いま坂餅などはきれいで風流だ」とほめているものもあります。
「おてつ牡丹餅」は、麹町(千代田区)にあった店の商品で、胡麻、餡、黄粉の三色の餅があり、「おてつ」という美人の看板娘がいたことから、とても繁盛したといわれており、「助惣とおてつ、近所でうまい仲」という川柳まで残っています。「永代団子」は隅田川に架かる永代橋の西詰(日本橋側)にあった「佐原屋」という店の商品で、「いま坂餅」は鶏卵をつぶしたような楕円形の餅で、白餡の赤餅と漉し餡の白餅があり、特に色のきれいな赤餅が子供に大変人気があったようです。
今でもあれば食べてみたいところですが、ネットで検索してみてもこれらのお菓子そのものは存在していないようです。「いま坂餅入りどら焼き」というお菓子がヒットしましたが、はてさて「いま坂餅」と関係あるのでしょうか?
高見澤