おはようございます。2月に入り、日が明けるのも大分早くなりました。これから夏至に向けてだんだんと日も長くなっていくことでしょう。
さて、本日も引き続き暦に関するお話をご紹介していきましょう。
「草木も眠る丑三つ時」という言葉があります。『延喜式』によれば、前回ご説明した一振刻(およそ2時間)を四刻(一刻から四刻)に分けた時間の単位もありました。つまり一刻は約30分に相当することになります。ですから「丑三つ時」というのは、丑の刻(午前1時~3時)の三刻目、すなわち午前2時を指すことになります。宮中においては十二振刻を太鼓で知らせていましたが、丑三つ時だからといって太鼓が三つ鳴るということではありません。太鼓で知らせるのはあくまでも「九つ」から「四つ」までの十二振刻で、四刻は清涼殿の庭にあった「時の簡(ふだ)」に、一昼夜四刻ごとに木釘を刺して時刻を示したと言われています。
江戸時代には、時報を知らせる「時の鐘」が各地に設けられました。現存するものとしては埼玉県川越市の「時の鐘」が有名ですが、今は機械式で午前6時、正午、午後3時、午後6時の1日4回、川城下に時を知らせています。
しかし江戸時代に鳴らされた数は、宮中の太鼓の時報を踏襲して、九つ、八つ、七つ、六つ、五つ、四つでした。落語や時代劇などで「明六つ」、「暮六つ」という言葉が出てきますが「卯の刻(午前5時)」が「明六つ」で、「酉の刻(午後5時)」が「暮六つ」です。
江戸時代は、日が長い夏至の頃でも、日が短い冬至の頃でも夜明けが「明六つ」で、夕暮れが「暮六つ」でした。江戸時代までの日本の生活上の時刻は、日の出と日の入りを昼夜の区切りとする不定時法だったので、こうした仕切りができたのです。
次回はこの不定時法についてお話ししたいと思います。
高見澤