東藝術倶楽部瓦版 20170413 :江戸時代に庶民の間に浸透した「五節句」

 

おはようございます。東京では、先週末の雨風で桜も大分散ったように思えたのですが、それでもまだまだそれなりに花見を楽しめます。草花も夏に向けてエネルギーを放出し始めたといったところでしょうか。

 

さて、本日は年中行事の中でも、皆さんに馴染の深い「五節句」について、少し解説しておきたいと思います。五節句それぞれの説明は、各月ごとの紹介の際に行いますので、ここでは五節句に係る全体的なお話しをします。

 

五節句とは、いずれも旧暦に基づきますが、1月7日の「人日(じんじつ)」、3月3日の「上巳(じょうし)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(しちせき)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」の5つの式日を指します。この五節句は、江戸時代に定められた式日で、明治初期に編纂された江戸幕府の法令集『徳川禁令考』に収められている『年始嘉節大小名諸士参賀式統令』によると、幕府が制定した式日はこの五節句のほか、1月1日の「年始」と8月1日の「八朔(はっさく)」があります。

 

そもそも「節句」というのは、年中行事を行う日の中でも特に重要とされた日〔節日(せつにち)〕を指し、昔は「節供」と書かれていました。「節日」自体は奈良時代から定められていましたが、それらは主に宮中儀礼としての宴(うたげ)であり、「節会(せちえ)」と記されることもありました。

 

「節供」ですから、元々は稲作を中心とした日本の農耕儀礼において、それぞれの節目の日に神前に供えられる供物を意味します。「節」は折り目、「供」は供物を指すことから、五節句にまつわる飲食物には特別な意味合いが込められていることが分かります。これが江戸時代になると「供」に替わって「句」の字が使われるようになり、「くぎり」という意味に変わってきます。こうして五節句が江戸の庶民の間に「節句」として浸透していくことになります。

 

一般に節日は奇数を重ねた月日に定められていますが、これは中国における陰陽思想から考えられたもので、奇数を重ねた月日に「陽」が極まると「陰」が生じると考えられており、この日は不吉な日として邪気を祓う行事が行われたことに由来していると言われています。そして、中国において邪気を祓う際に使われていたのが特定の植物等です。日本においてもそうした風習が一緒に伝わり、無病息災を祈りつつ独自の文化を育んできました。

 

高見澤